その夜、山田は安らかな眠りについていた。
 といっても、もちろん死んでるわけじゃない。単なる安眠だ。が。
 その至福の時間を邪魔するウザい何者かによって山田の意識は浮上した。
「んぁ……?」
 それでも眠気と覚醒が九対一ぐらいの割合でせめぎ合う中、山田の腹を何かが撫でた。ヒヤリとしてツルリと滑るような乾いた感触。くすぐったさに身を捩るそばから、今度は首筋に生ぬるい気配が触れて無意識に声が漏れた。
「ぅ、ん」
 寝ボケながら払いのけようとした手は、逆に何かに捕まって押さえ込まれ、自由を奪われた。
 ついでに喉もとに小さな痛みが走り、ビクリと身体が跳ねた。
「ぃッ、あァ?」
 呻いて薄く目を開けた山田の視界に黒い影が覆い被さっている。
「──ドロボー?」
「誰が泥棒だバカ」
 影が喋った。知ってる声だ。同居人だった。
「つーかお前、また鍵開けっ放しだったぞ」
「あっそう……てか何やってんの、お前」
「マジで泥棒だったらどうするつもりだ? 知らねぇヤツにもこんなことさせんのかよ?」
「はぁ? 何? てかだから、何やってんのお前?」
「いちいち聞かなきゃわかんねぇのか」
 舌で舐めとられた耳たぶに甘噛み攻撃を受け、山田は躱そうと身を捩った。が、Tシャツに入っていた佐藤の手が許さない。
 腕を突っ込まれて捲れた腹に、また何かが滑った。どうやらネクタイのようだ。佐藤はまだスーツ姿らしく、押し退けようとした山田の手にザラついた布地が触れた。
「つーか何だよお前、いつ帰って来たんだよ?」
「さっきだけど文句あんのか」
「ねぇ。つーかどけ、俺は眠ぃんだよっ。そんでお前は風呂入って寝ればっ」
「溜まってんだよ、最近全然してねぇだろ?」
 耳元にとどまったままの唇が言った。
 つい数日前までは山田が忙しかったが、入れ替わるように今度は佐藤が忙しくなり、たしかに最近あんまりアパートで顔を合わせた憶えがない。が、しかし。
 そんなことで幸せなひとときを妨害されてたまるか。山田は思った。幸せなひとときとはもちろん、安らかな睡眠時間のことだ。
「お前な、ンなモンっ、だったら女んとこでも行けっつーのっ」
「面倒クセェ」
「だいたい何だよ最近してねぇとかって? 俺とすんのが当たり前みてぇな言い方すんじゃねぇよ」
「違うのかよ」
「──」
 うっかり考え込んだ山田の脳ミソは、ようやく寝起きのボケた状態から覚醒しつつあった。が、それでもなお、己の下半身がすでに剥かれてることにはまだ気づかない。
 ようやく気づいたのは、ダラダラ考え続けてる間に佐藤の手で脚を開かされた時だ。
 膝小僧に感じる手のひらが、どうも布越しとかじゃなくナマっぽい。ついでにヒヤリと股間を撫でたエアコンの冷気も明らかに直だった。
「あぁ!? 何だよ、いつの間に!?」
「何が」
「いつ脱がしたんだよ!?」
「何言ってんだ、さっきからずっとこの状態じゃねぇか」
「知らねぇっ、てか勝手にヒトの服をだな、ぁッ、い、いきなり……入れッ」
 前触れもなくケツの穴に入ってきた指先に、山田が声を詰まらせて仰け反る。
「テメ、おいっ、嫌だっつって……ん、んン!」
「お前のそっちの口が言うことは聞かねぇことにしてんだよ、嘘ばっかつくからな」
「誰がウソだ、ヤだっつったら、や、てか待てって、さと──!」
 佐藤の腕が腿ごと抱え込んで逃げる腰を引き戻す。
 奥まで埋まった指を動すと、山田の正直な方の口はモノ欲しげに震えて喘いだ。
「ほら見ろ、喜んでんじゃねぇか」
「ん、バカやろッ、寝てェんだよ俺は、あ、あッ、やめっ」
 
 
 ──翌朝。
 深夜、スーツのままサカッた佐藤によって思う存分貪られた山田は、寝不足のまま不機嫌な目覚めを迎えた。ついでに犯された時のままTシャツ一枚に下半身丸出しという姿で目覚めたことも、不機嫌に拍車をかけた。
 しかもやっとの思いでベッドから這い出してみれば、台所に相変わらずスーツ姿の佐藤がいてますます腹が立った。もちろんゆうべのスーツじゃない。パリッと身だしなみを整えた本日仕様だ。
 山田はダラダラと食卓に近づき、煙草のパッケージを取り上げた。
「なんつー格好で吸ってんだ」
 下半身剝き出しのまま煙草に火を点ける山田を見て佐藤が言った。
「はぁ? うるせぇな、お前がやったんだろーが」
「なんか穿けよ」
「こんなカピカピの股にパンツとか穿けっかよ」
「あぁそうか、好きにしろ」
 言って佐藤は煙草を咥え、玄関に向かう。
「おい佐藤」
 鞄を脇に挟んで靴を履きながら火を点けていた佐藤が振り返った。
「お前、マジで女んとこ行けよ次から!」
 安眠妨害の恨みは深い。憎しみを込めた山田の目と声に、同居人は「わかったわかった」と答えて出て行った。
 
 
 そして夜。
 ビールを飲みながらテレビを観ていた山田がそろそろ風呂に入るかと考えはじめた頃、どうやら忙しさも昨日でひと段落したらしい同居人が帰ってきた。
 よぉ、という声に応えもしなければ振り向きもしない山田の仏頂面を、佐藤は気にする風もない。会社でも一日この調子だったからわかってるんだろう。
 が、部屋に入った佐藤が早々に風呂の用意らしき衣類を持って出てくるのを見て、山田は思わず文句を垂れた。
「おい、俺が入んだけど風呂」
「テレビ観てんじゃねぇか」
「いま入るとこだったんだよ」
「あっそ、でも時間ねぇから俺。出かけっから、これから」
「知らねぇし、てか出かけんならもう帰ってくんな」
「帰んねぇよ、女と会うから」
 言った佐藤のツラを山田が無言で見た。
「お前が女んとこ行けっつったんだろうが?」
「誰も止めねぇよ。つーか、だったら直行すりゃいいじゃねぇかよ」
「明日の着替えが要るだろうが。それにさっき、そのへんで電話きたんだよ」
「あっそう、へー。つーかまだヤリ足りねぇの、どんだけヤリたがりだよお前」
「一回しかやってねぇだろ、ゆうべは」
「でも超長かったじゃん!」
「久々なんだからすぐ終わったらもったいねぇじゃねーか。とにかく足りてねぇから今日はじっくりやりてぇの、気が済むまで」
「ヘンタイが」
「んじゃ、つーわけで先入っから風呂」
「あっ佐藤このやろテメ」
 罵るわりに椅子から動くわけでもない山田を置いて、佐藤が風呂場に消えた。
 しょうがないから引き続きテレビを観ることにした山田がタラタラ煙草を吸っていると、テーブルの端で佐藤の携帯が鳴りだした。
 何となく引き寄せて開くと、画面には『アヤ』とかいう文字。
「はーい」
 山田は出た。
 途端に電話の向こうから弾けんばかりの女の声が飛んできた。
「あっ、ひろくーん!?」
「──」
 ひろくんだぁ!?
「あのねー待ち合わせの場所なんだけどォ、さっきスッゴイいいホテルあるよーって友だちから聞いてぇ!」
「──」
 どうでもいいけど何でこんなに声がデケェんだ? 山田は思った。
「そんでぇ、アヤもそこ行ってみたいなぁとか思ってぇ、でも場所がちょっとアレだから待ち合わせ、新宿じゃなくてねー!」
「あーゴメン、どこのアヤちゃんだか知らねぇけどぉ」
 山田が言った瞬間、電話がピタリと静かになった。
「……あれ? 誰ぇ?」
「佐藤の知り合い。佐藤さぁ、なんか用事できて行けなくなったとか言って? 電話来たら伝えといてって言われたんだよなー」
 
 
 佐藤がフロから出ると、相変わらず食卓の椅子にいる山田がテレビに目を遣ったまま煙を吐きながら言った。
「あ、なんかさっき女から電話あってさぁ、用事できたからキャンセルだっつってたぞ」
「はぁ?」
「詳しいことは聞いてねぇけどー。しばらく電話出れねぇからかけないよう言っといてだって」
「つーか山田お前、電話出たのかよ」
「佐藤お前、よくあんなうるせぇ女と遊べんな? てかまぁ、今日は残念だったってことで」
「──」
 佐藤は無言で煙草を咥えた。火を点けて煙を吐きながら、その間もテレビに向いたままの山田のツラをしばし眺める。
 それから言った。
「お前、それが何を意味するかわかってんのか?」
「さぁ。知らねー」
「じゃあ教えてやるから来いよ」
 
 
【END】

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