「まぁいいじゃねぇか。他ならないキャシーのダーリンだ、大目に見てやろうぜ」
 店主が柄にもなく寛大な申し出を口にした途端、エイミーの表情が一変した。
「他ならないって、どういう意味ですか?」
「あ?」
「ハニーが特別って意味じゃないですよね?」
「いや別に──」
「じゃあ、どうでもいい客だと?」
「そういうわけでもねぇけど……どっちなら満足なんだよ?」
「僕を満足させることができるのはハニーだけです」
「思った以上に面倒クセぇ彼氏だな、キャシーよォ」
「俺には何も聞こえてないんで」
 エイミーの厄介さを嗅ぎ取ったジョンは、神ならぬ王子に障るのをやめたらしい。何事もなかった風情でボトルの狭間から手を伸ばすと、ローラの前に新たなグラスを置いた。
 ローラはローラで、ついさっき「アイツら」がどうとか言って不可解の渦を巻き起こしたことなんか忘れ去った風情で、今はケイティとのんきな会話を交わしていた。
「俺も今度、キッズ用のラムちゃんコスプレ買って次郎に着せてみようかなぁ」
「嫁さんにじゃなくてか?」
「だってウチの嫁さん、似合いすぎて面白くなくない?」
「あぁ……まぁなぁ」
「ローラんちの嫁さんはコスプレするとしたら、やっぱアレ? ケンシロウの彼女?」
「ンなコスプレ、自作でもしない限りなくねぇか」
「そうかなぁ、ありそうだけどなぁ」
「何にせよ興味ねぇわ」
「ローラってさぁ、ほんと嫁さんに興味なさすぎじゃね?」
「いや嫁さんじゃなくてコスプレに興味ねぇって話だから」
「そうかなぁ、どっちもなさそうだけどなぁ」
 彼らの会話に中央のミランダがチラリと目を投げ、ジェニーが逆方向の後輩コンビをハッと見た。
「そーいや俺こないだ、バービー人形と彼氏が箱に入ってるコスプレ売ってんの見かけたぜ? ネットで。リカちゃんじゃねぇけど、どうだよ? オマエら」
「しません」
 提案はキャシーにぶった切られた。
「ジェニーがミランダと試してみたらどうっすかね」
「やるか? ミランダ」
「嫁さんがいるヤツらにやらせろよ」
 ミランダが左に顎を振るのを見て、ジョンが訊いた。
「ケイティも所帯持ちなのか?」
「うん? そーだよ」
「じゃあ、こっちの2人は棺桶に両足突っ込んでるコンビってことか」
「いや失礼なこと言わないでくんない? ウチの奥さんは外側も内側もメッチャ偏差値高くて、棺桶どころか祭壇だからね?」
「意味わかんねぇけど、さっきも偏差値高そうな女子の話を聞いた気がすんな」
「あぁ、ジェニーの妹の話だよな」
 と、ローラ。
「それがケイティの嫁さんだよ」
「あ?」
「で、息子ってのがこれまた恐ろしく聡明でさ」
「まぁ、幸いケイティの血が入ってねぇからな」
 これはジェニー。
「どうなってんだ? つまり、ジェニーとケイティは義兄弟なんつーいやらしい関係だってことか?」
「なぁオッサン、いやらしいって日本語の意味わかってんのか?」
 これもジェニー。
「少なくとも健全じゃねぇだろ、ンな盃交わすような間柄」
「いや交わさねぇし何言ってんだ?」
「盃以外のモノなら交わすけど、ね! イチさん」
 そこから弟が暴走して兄貴がピリついたひと幕は、冗長になるから丸っと端折る。
 とにかく店主が知ったふうな面構えで、
「ま、男兄弟ってのは何かっつーと反目し合うモンだよな。しょうがねぇ、近くにいる同類は排除したくなるのがオスの本能ってヤツだ」
 と肩を竦めたとき、最後の客がやってきた。
 
 
 毛先がゆるふわにカールしたアッシュグレーのロングヘア。
 重たそうなツケマに縁取られた気怠げな眼差しと、野郎どもには名前が思いつかないカラーで彩られたセクシュアルな唇。
 ミドル丈の黒いチェスターコートの中には、ざっくりしたタートルニットとミニスカの黒いセットアップ。
 腹から風邪をひきそうな短めニットの奥にチラつく、程よい腹筋の陰影とシルバーの臍ピアス。
 タイトなミニスカのウエストには、拷問にでも使うんだろうかと勘繰りたくなるような金具付きのベルト。
 股間から風邪をひきそうなスカートの下には、健全な女子ならチョイスしそうにない黒い網タイツの腿がスラリと伸びていて、その下半分はある種の性産業以外では滅多にお目にかかりそうにない光沢感の黒革ロングブーツに包まれている。
 女子にしては長身だし、よくよく見れば足のサイズも女子にしては大きめなんだろうが、ブーツの踵は熟練の女子でなければ到底履けそうにない高さのピンヒール。
 真相を知らない限り、目つきの悪いボウズが素材だとは絶対に想像できないであろうエロくささ抜群の超絶美女は、すぅっと店内を見回したあと驚くほどありきたりな挨拶を寄越した。
「こんばんは。皆さんお疲れさまです」
 野郎にしてはやや高めとはいえ、女子にしては不自然に低いトーン。
 さすがにジョンも『芯材』の正体を嗅ぎ取ったに違いない。が、そんなことはお構いなく、カウンターの向こうから尻上がりの口笛をひとつ飛ばした。
「コイツぁまた、とんでもねぇ真打ちが登場したやがったな」
 店主が独特の胡散臭い口ぶりで歓迎した──そのときだ。
 一席だけ空いたスツールに近寄っていた新客が、不自然に動きをとめて顔を上げた。
 美女と野獣──女装ボウズと無精髭サンオツの視線がぶつかり、そのまま数秒。
 何なんだ……?
 先客たちが訝った次の瞬間。
 店主がマッカランのボトルネックを引っ掴んでシンクに叩きつけ、ソイツのボディを割るのと──もちろん中身は全部出ちまった──ゆるふわロングヘアのボウズ美女が目にもとまらぬ素早さで黒いナックルを拳に嵌めて、やたら堂に入ったファイティングポーズをキメるのとが同時だった。
 座ってる客たちは全員、ますます混乱した。
 何この、急に格ゲーでも始まりそうな展開……?
「おい、エリ──」
 ジェニーが言いかけてミランダを見た。
「待てよ、何て呼んだらいいと思う?」
「エリカでよくねぇか、ハナから源氏名だし」
「まぁ、だよな」
 そこにケイティが割って入った。
「でもジョンが命名するってルールなんだろ? なぁキャシー」
「そうだけど、今は訊ける雰囲気でもないしね」
「あっ、じゃあ、仮ってことでいいんじゃないですか?」
 ね! とエイミーが声を弾ませ、ローラが首を傾げた。
「カッコ仮ってことか? エリカ・カッコ仮?」
「で──」
 議論が一巡したのち、ジェニーが改めて仕切り直した。
「何なんだオマエら? 知り合いだったのかよ?」
 結局エリカの名称なんか関係なかった問いから、約5秒。
 溜め息とともに構えを解いた美女が、アッシュグレーのゆるふわカールをサッと払った。
「紹介します、皆さん」
 指先に黒っぽいネイルを施したナックル付きの手でカウンター越しの店主を示し、秋葉龍之介はこう続けた。
「そこにいるのは寅兄──ウチの二番目の兄、寅次郎です」
 
 
 それからのカオスについては、もう丸っと端折ろう。
 
 とにかく、空が白みはじめた時刻。
 決して羽を休める場所とは言えない止まり木から飛び立った野郎どもは──もちろん女装してるヤツも含む──揃いも揃って飲み過ぎ感満載の面構えを引っ提げ、最寄りのねぐら目指してチンタラ歩いていた。
「そういや」
 ふと、キャシー……もとい鈴木が、疲れきった顔を山田に向けた。
「あの歌、くーるぅ、きっとくるぅじゃなくて何だったんスか?」
 
 
【END】

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