「え、何そのテキトー感? てか何? 誰?」
 ジェニーが店のルールを解説してやると、ミランダ弟──否、ケイティは案外すんなり納得した。
「へーえ。面白ェけど、みんなに名前つけてたら被ったりしねぇの?」
「たまにはある」
 カウンターの向こうのジョンが、海ドラの刑事が聞き込みに訪れる酒場のバーテンダーみたいに投げ遣りな仕種で肩を竦めた。
「そういうときはどうすんの?」
「どうもしねぇ。で? 何飲むんだよケイティ、オーダーを聞いてやるのは新顔の1杯目だけだぜ?」
「ケイティかぁ。なんでケイティ?」
「直感」
「2杯目からはどうやってオーダーすんの?」
「必要ねぇ、俺が勝手に出す」
「マジ? 勝手に出されて最後カネが足んなかったらどーすんの?」
「ツケにしてやるよ、俺は北極海ぐらい心が広いからな。で、支払いついでにまた呑みに来りゃウィンウィンだろ?」
「五大洋の中で一番狭ェじゃねぇか」
「てか、ほぼほぼ詐欺じゃね?」
 口々にツッコんだのはミランダとジェニーだ。
「安心しろ、今んとこ払えなかったヤツはまだいねぇ」
「まぁ何でもいいけど変わった店だなぁ、さすが鈴リンの──あ、鈴リンじゃねぇのか。何てーの? てか、みんな何てーの?」
「奥からキャシー、ジェニー、ミランダ。いま便所行ってんのがローラ。俺はジョン」
 紹介を聞いても、新入りケイティは店主だけが野郎の名前だってとこには反応しなかった。
 かわりに己の右側を奥から手前へと眺め、最後のひとりに目を据えてたっぷりガン見した。
「ミランダぁ?」
「だったら何だ?」
「はいよ、お待たせ」
 交差した兄弟の眼差しを分断するように、ケイティの前にショットグラスが現れた。中身は上が琥珀色、底のほうが黄緑色っぽいグラデーションの液体だった。
「あれ、俺なんかオーダーしたっけ?」
「タイムリミットだぜ、ケイティ」
「ちょ、ンな短ェタイムリミットあんなら先に言ってくれよな。んでコレ何が入ってんの?」
「ソイツぁ訊かねぇのがルールだよ」
「いちいち注文の多い料理店だな」
 ボヤきながらも一気にグラスを干すケイティ。
「──んん甘っ? てかウマいけど最初の一杯に飲むヤツじゃなくね? で何なのコレ?」
「だから訊くなっつってんだろ、俺んちに足を踏み入れたからには俺のルールに従えよ」
「うん? 俺んち……?」
「それにしてもミランダと同じ顔でそのノリ、どうも妙な感じがしてならねぇな」
 店主がしみじみとコメントした途端、兄弟が各々いきり立った。
「だから似てねぇし、なんにも同じじゃねぇし!」
「全く、どいつもコイツも目がイカレてやがるぜ」
「俺は似てると思ってないっすよ?」
「お前の目はエイミー以外識別できねぇだけだろ、キャシー」
 煙草に火を点けたジェニーが煙とともにフガフガ吐き出す。
「はいはいそうっすね」
「エイミーって、修ちゃん?」
 ケイティの問いは「シュウ」だけ小声になっていた。
「なんかあんま違和感なくてズリィなぁ」
「エイミーといえば」
 空のグラスを回収していたジョンが、ふとキャシーに目を投げた。
「来るんだよな今日? 俺ぁ、楽しみでゆうべ一睡もできなかったんだぜ?」
「じゃあもう寝たら?」
「一緒に寝るか? キャシー」
「今のうちに忠告しとくけどオッサン」
 ジェニーが振り上げた煙草の穂先から灰が舞い、ミランダが溜め息を吐いて手のひらでカウンターを払った。
「キャシーに向かってンな冗談、エイミーがきたら絶対ェ言わねぇほうがいいからな?」
「了解、了解。で? もうひとり来るんだよな。あとは誰だ? ひょっとしてス──」
「ノーコメント」
「最後のひとりはシークレットキャラだぜ」
 ジョンが皆まで言わないうちにキャシーとジェニーが遮った。
 ス、ってのは十中八九、彼らが前回来たときにジェニーの間男──つまり元後輩に与えられたコードネーム「ステラ」に違いなかったからだ。
 澄まし顔の不審な2人組をミランダの目がひと舐めしたところへ、席を外していたローラが帰還した。
「長ェ便所だったな、大丈夫なのかよ?」
「あぁ、別に?」
 答えたそのツラは、摂取した総度数アルコールのわりには酔ったふうもなく普段どおりだった。
 が。
 元いた席じゃなくエイミー用の空席にフラリとやってきて、ジェニーの唇から煙草を奪う重たい目つきを見たとき、どうやら普段どおりじゃないらしいことを誰もが嗅ぎ取っていた。
 果たしてローラは言った。
「なぁジェニー、いつミランダと別れんだよ?」
「え、別れねぇけど……?」
「ちょ、その質問は俺もしてぇの山々だけどさ、酔ってんの? 田中っち──じゃねぇや誰だっけ」
「ローラ」
「あ、ローラね、酔ってんのローラ?」
「酔ってねぇだろ」
 ミランダが抑えた声を投げ、手にしていたグラスに目を落として一瞬黙った。液体の表面に、さっきジェニーが撒き散らした灰が転々と付着していたからだ。
 が、結局、何も言わずに干して淡々とこう続けた。
「しっかり源氏名呼べてんじゃねぇか」
「確かに、酔っ払ってんなら本名言っちまいそうっすね」
「俺らのコレも源氏名って言うのか?」
「酔ってはねぇよ」
 ローラが緩慢な仕種で、煙草を灰皿──キャシーの前にあった和式便器型のヤツ──に捩じ込んだ。
「けどアイツらが言うからさ。一度きりしかねぇ人生は俺のモンなのに、何を我慢する必要があんだよ? ってな」
「え、アイツらって誰?」
「何を我慢してんだよローラっち?」
「アイツらって、まさかアイツらか?」
 声を硬くしたジョンを全員が見た。
「そうかそうか、お前にも聞こえたのか、ローラ」
 小刻みに頷きつつケイティの前に2杯目を置く無精髭面は、らしくもなく真剣な風情を帯びていた。
 ──何なんだ一体……?
 疑問符が飛び交う客席の端で、キャシーが何かに気づいたような声を上げた。
「あぁ、もしかしてトイレのアレ?」
「どうやらな」
「ちょっと待った、便所?」
 不意に顔を強ばらせたジェニーが、店主と常連客に走らせた視線を便所帰りの野郎にシフトした。
「アイツらって、まさか──あの壁のヤツらとか言わねぇよな……?」
 そのときだ。
 淀んでいた空気がフワリと動いて、野郎6人の視線が一斉に入口に向いた。
「あぁよかったぁ!」
 遠慮がちに開いたドアの隙間から、乙女ゲームの王子キャラみたいな顔面が覗いていた。
 
 
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