ローラが首を傾けた。
「そういや名前は記号だみてぇなこと、ジェニーの妹も前に似たようなこと言ってたよな」
「へぇ。ジェニーお前、妹なんかいんのか」
「だったら何だよ、オッサン」
「連れてこいよ今度。心配すんな、お前に似て表現のしようがないぐらい特徴がなくたって気にしねぇよ? 俺は寝る相手の外観には拘らねぇからな」
「図々しくも寝る前提で喋ってやがるとこは百歩譲って大目に見てやるとして、相手もあんたと同じポリシーじゃなきゃ始まんなくねぇか?」
「外観に拘らねぇ同士じゃねぇと、ってことか?」
「だよな?」
「ま、敢えて反論はしねぇ。どうよ? この器のデカさ」
「テメェで言うな」
「ただし俺の器とチンコがどんなにデカくても、中身がつまんねぇヤツだけは用がねぇ。男も女もそれ以外もな。よくいるだろ? パッケージばっか飾り立てたカラの重箱みてぇなのがよ」
「チンコは余計じゃねぇか?」
「どんだけのモンか見てやってもいいぜ?」
「マジで出すから冗談でも言わないほうがいいっすよ、ジェニー」
「おいおい」
「マジで出すのかよ」
 ザワつくカウンターの真ん中でミランダが煙を吐いて言った。
「チンコはともかく、ジェニーの妹はパッケージも中身も豪華な三段重だぜ」
「ソイツぁますますお手合わせ願いてぇなぁ」
「何の手合わせだよ、言っとくけどダンナも息子もいるからな?」
 ジェニーのツッコミに、それがどうしたと言わんばかりの目が返る。
「関係あるか? お役所の入力データが生命の本質を凌駕するとでも?」
「──」
「そういえば昔」
 キャシーが懐かしむような眼差しを宙に投げた。
「カラの重箱ばっかり取っ替え引っ替えして生命の本質を行使しまくってた先輩がいましたねぇ」
 3人のパイセンにシフトした横目を追って、店主がニヤつく。
「どの兄さんだか知らねぇけど、いいじゃねぇか。ソレはソレ、ナニはナニだろ? 箸を突っ込んで隅々までつついてみなきゃ、ホントにカラかどうかわかんねぇしな。で? 徳用の割り箸何袋分ぐらい突っ込んだんだ? まぁ若ェ頃は冒険すべきだぜ、俺もその昔はよォ──」
 ドン! とジェニーのグラスの尻がカウンターを打った。
「オッサンの武勇伝なんか興味ねぇんだよっ」
「ジェニーが怒るとこみると、重箱をつつきまくってたのはミランダか」
「てか、若ェ頃は……?」
 俺らより下じゃなかったっけ、とローラの呟き。
 その隣でミランダが、重箱云々は完全スルーのツラをカウンターへと投げた。
「それはそうと、さっきジョンって呼ばれてたか? あんた」
「あぁ、それが?」
「なんでひとりだけ野郎のネーミングなんだ?」
 途端に、そのまた隣の席がいきり立った。
「な? ソレ思うよな? 不条理だよな? 店主だからってこんな暴政が許されると思うかオマエら!?」
「ジェニーでも暴政なんて言葉を使えるんっすねぇ」
「はぁ何言ってんの? てか聞けよローラにミランダ、許せねぇのは自分ひとり野郎の名前ってだけじゃねぇぜ? ひとりだけ苗字までくっつてんだぜ?」
「別にいいけどフルネームかよ、何てんだ?」
「ジョン・ドゥだよ。よろしくな、新入りガールズ」
 身元不明者ジョン·ドゥが血の色の液体で満たされたビーカーを掲げ、鬱陶しい前髪越しに──よく見えなかったが多分──ウィンクを寄越すと、アラフォー長身スーツの新入りガールズも首を捻りつつグラスを挙げた。
「ジョン・ドゥってのは、まぁ……フルネームにゃ違いねぇのか?」
「ま、ジェニーの本名もプレースホルダみてぇなモンだしな」
「どうせならジェニーじゃなくてジェーンのほうがいいんじゃないスかね」
「そのプレースホルダ名とやらはあえて訊かねぇけど、じゃあジェーン・ドゥに変えて俺と夫婦になるか? ジェニー」
「──」
「おっと冗談じゃねぇかミランダ、ンな恐ェ顔すんなよ。そこらの本業よりおっかねぇわ」
 笑ってローラのショットグラスを交換する浅黒い手を、ほかの客はそれぞれ無言で見るともなく眺めた。
 ──さっき換えたばっかじゃなかったか?
 が、周りの疑念をよそにソイツも程なく干したローラが、トイレ、と立ち上がった。
「行くのか」
 ジェニーが眉を曇らせた。
「生きて帰れよ」
「何なんだ?」
「いや……」
 ここのトイレが階段下に無理矢理作られたお仕置き部屋みたいな空間であること、裸電球ひとつが灯る薄暗くて狭い室内の壁には、店に飾りきれなかったと思しき海外の──殊に秘境の──伝統工芸品らしき不気味なお面がぐるりと並んでいること、闖入者は彼らの視線を一身に浴びながら下半身を晒して用を足さなければならないこと──などという予備知識はまぁしかし、行けばわかることだから言わずに送り出すことにした。
 で、ローラが孤独な闘いに挑むべく入口のドアを開けた、そのときだ。
「あっ、田中っちじゃーん! よかったぁ、ホントにここでいいのかって誰かにLINEしようと思ったとこなんだよねー、ってどこいくの? トイレ?」
 騒々しい声が飛び込んできて、入れ違いにミランダの弟が現れた。
「こんばんはぁ、あっイチさーん、おつかれぇ」
「しっ」
「ん? 何? 俺どこ座ればいーの? イチさんの隣……は鈴リンの隣だから修ちゃんの席? 修ちゃんくんだよね?」
「だから、しっ」
「え? 何? 何なの?」
「いいからそっちの端っこのどっちかに座って、一旦大人しくしてろ」
「じゃあイチさんもこっちの端っこ来てよ」
「こら、しっ」
「え? だから何なの?」
 ジョンが肩を揺らして笑い出した。
「新顔にそんなピリつくこたぁねぇよ、ジェニー」
「ジェ……んん? 誰?」
 ますます戸惑いを帯びる弟を、とにかくローラ席の左隣に座らせる。
「で? 新顔さんは何飲む──って待てよ?」
 今度はジョンの顔面に戸惑いが伝播した。
 前髪に邪魔でもされて気づいていなかったのか。改めてローラの左右を交互に眺めた店主が、奥の既存客2人に訝しげな声音を投げた。
「ミランダが2人……?」
「似てるだろ? けど非なるだろ?」
 と、ジェニー。
「双子か?」
「そう双子だよ」
 キャシーの適当な返事。
「そこまで似ててたまるか」
 これはミランダ。
「そこまでっつーか全然似てねぇし! ──つか、ミ……? 今なんて?」
 新入りの抗議と当惑を受け流したジョンが、もう一度彼らを見比べてから小さく頷いた。
「ま、とりあえずケイティでいいや」
 
 
【NEXT】

MENU