「ま、この世なんてそもそも矛盾だらけだけどな──あぁ灰皿なら、そのへんにあるヤツどれでも適当に使ってくれよミランダ」
 新規客の視線を追って店主が言うと、隣席の既存客が目の前にあった宇宙人の頭部を掴んで男の前に置いた。
「──」
 銀色に鈍く光るグレイの顔面と無言で対峙するミランダ。
 その唇の先でジリジリと成長しつつある灰を見てジェニーがけしかけた。
「ほら早く、侵略者の脳天に火種を浴びせてやれよ」
「火種を浴びせたら煙草が消えちまうだろうが」
「侵略者とは限らないんじゃないスかね」
「そうだよな、友好関係を築きにきたのかもしんねぇよな」
「被害妄想ってのは地球人の悪癖だぜ。──で?」
 サンオツ店主が底光りする目で4人の客を順に薙いだ。
「結局お嬢さん方の誰が、小さくて透けてる布っ切れを着てくれんだ?」
「どれぐらい本気で言ってんのか判断しかねるツラで蒸し返すんじゃねぇ」
「何言ってんだジェニー、俺はいつだって本気の全力投球だぜ」
「圧搾機で一滴残らず活力を搾り取った残り滓みてぇなナリして、球を投げる力なんかどこに秘めてやがんだよ?」
 手を伸ばしてローラの箱を引き寄せながらジェニーが言うと、ミランダがやれやれと息を吐いた。
「言えば取ってやるから」
「いやミランダお前、甲斐甲斐しく子供の世話をする母親みたいな風情醸してっけど俺の煙草だからな?」
「ランウェイモデルがケチくせぇこと言うなよローラよう、全ての金品はみんなのモノじゃねぇか」
「いつ共産主義者になったんだジェニー」
「一郎くんのお世話は、どっちが甲斐甲斐しくやってんですか? やっぱ奥さんじゃなくてローラっすか? 一郎くんだけに」
「──」
 ローラが無言でキャシーを見返し、ほかの全員がローラを見た。
「やっぱってのは何だよ? 2人ともやってっけど?」
「へぇ、そうっすか」
「てか嫁さん、イチローの世話はしてもダンナの世話はしてなさげじゃね?」
「しょうがねぇ、自然の摂理ってヤツだろ」
「なんだローラお前、妻子持ちなのかよ? そんなに生き急いでどうすんだ?」
 咥え煙草の店主が憐れみを帯びた目で首を振った。
「よしわかった、1杯奢ってやっから元気出せよ」
「うん……? そりゃどうも」
「憐憫の情を拒否らず受け容れんのかよ、ローラ」
「だって奢ってくれんのを断る理由、別にねぇし」
 ローラがジェニーの前から箱を取り戻して1本抜き取る。と、ほぼ同時に置かれたのは琥珀色のショットグラス。
 ちなみに琥珀色ってのはグラスじゃなくて液体の話だ。
「コイツは何が入ってんだ?」
「酒の銘柄なんかわかってたら面白くねぇだろうが、ゴチャゴチャ言わずに景気よくりゃあいいじゃねぇか」
 重ねて尋ねる気を決して起こさせない面倒くさげな声音が返り、ローラがショットグラスに口をつけた。
「何なに、どんな感じ?」
「美味いことは美味いけど、ちょい度数高めだな」
「でも色着いてっから96度のやつじゃねぇんだろ」
「んな全然、62度ぐらいだぜ」
 店主がうっかり漏らしたヒントに、あぁ、と常連客が目を上げる。
「じゃあキルデビルあたりかな」
「さすがキャシー、以心伝心だよなぁ俺ら。むしろ一心同体? そろそろ身体が繋がってもいい頃合いじゃねぇか?」
「おいおい危ねぇ発言は控えてくれよオッサン。良かったなキャシー、アイツがまだ来てなくて」
「キルデビルだってよ。ローラお前、殺られちまうらしいぜ」
「俺はデビルじゃないから問題ねぇ」
「人間ってのは誰しも、自分が思ってるほど善良じゃないモンっすよ」
「お前が善良じゃねぇことだけは全人類が承知してるけどな、キャシー」
「それにしても息子の名前がイチローとはなぁ、ローラよう。ずいぶん大きく出てんのか、単に古風なだけか?」
 カウンター越しに問われたローラが一拍置いてショットグラスをグッと空け、隣のミランダが宇宙人の脳天に煙草を捩じ込む横で、ボトルの林の隙間からダラリと垂れ下がる謎の黒い紐をジェニーが摘まんで引き抜いた。
 ズルズルと出てきた紐の真ん中あたりには、極めて面積の小さい布地がくっついていた。
「──」
 まぁまず間違いなく下着だった。Tバックの紐パンだ。
 多様性が声高に求められる昨今、パンツの形状でジェンダーを定義すべきではないし、実際メンズのTバック紐パンだって世の中には存在する。が、十中八九、女子用アイテムだと思われた。コイツが野郎のパンツだったなら何ひとつ──そう、まさにナニひとつ──隠すことなんかできやしない。そんな布地のサイズ感だからだ。
 数秒の静寂ののち、引き抜いた当人が代表して尋ねた。
「あんたのか? ジョン」
「ンなワケねぇ、客の誰かのモンだろ」
「まさか、ここで脱いでそのまんまなのかよ?」
「知らねぇよ」
「──」
 ボトルの隙間にそっと紐を戻しかけたジェニーが、ふと奥の席に目を遣った。
「透けてもねぇしウロコみてぇなスパンコールもくっついてねぇけど、面積だけは間違いなく小せぇよ? 穿くかキャシー?」
「洗濯してきたら考えてもいいスけど」
「いいのかよ」
「待った、穿くのは彼氏の前だけにしといてやれよ」
「はぁ誰っすか彼氏って? 穿くときはドームに満員の観客集めてもらいますが?」
「俺は参加しねぇよ? まだ命は惜しいからな」
「キャシーの男ってのはンな危険人物なのか?」
 ローラのグラスを新たなショットグラスと入れ替えながら店主が訊くと、キャシー以外の客がそれぞれ曖昧に首を捻った。
「いやまぁ全然……とは言えねぇか?」
「局地的に危ねぇことはちょいちょいあるかもな」
「そういやキャシーの彼氏にもなんか名前付けてなかったっけ? 前回」
 ジェニーの問いに即答が返った。
「エイミーだよ」
「よく憶えてんな」
「名前なんてなぁ認識タグに刻まれた記号に過ぎねぇじゃねぇか。記号を憶えるって作業なら義務教育からみっちり背負わされた原風景だろ? つまり刻み込まれた地道な遺伝子の為せる業ってヤツだ──ま、何が言いてぇかっつーと……」
 ミランダとジェニーのグラスを交換し、最後に氷と褐色の液体で満たされたジョッキをキャシーに手渡して、無精髭野郎は肩を竦めた。
「とにかく、いっぺん付けた名は忘れねぇってことよ」
「俺、記号なんか憶えようと努力した記憶ねぇわ」
「ジェニーお前、どうやって受験を乗り越えたんだ?」
「宇宙からの交信」
 
 
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