「ジェニー?」
「そういやさっき、なんか違う名前で鈴木が呼ばれてたよな。てことは……」
「えぇ、そちらがジェニーっす」
 鈴木が手のひらで山田を示し、カウンターのサンオツが鈴木を顎で示した。
「ソイツはキャシー」
「まだ一杯も飲まねぇうちから混沌としてきたな」
 呟いた田中が、しかし気を取り直したようにオーダーした。
「とりあえずビールで」
「どんなヤツ?」
「というと?」
「ウチ、ボトルビールしかないんだけど特にメニュー決まってないんだよねぇ。今あるヤツの中からどれか出すから、どういうのがいいか言ってくんねぇかな」
「それ、俺が前に来たときも一言一句同じこと言わなかったか?」
「おいおいジェニー、俺ぁ日々新しい自分に生まれ変わってんだぜ? 昨日の俺と今日の俺すら別人だってのに、あんたが来た遠い過去と同じセリフなんざ吐くわけねぇよ」
「前ンときから時が止まりっぱなしみてぇな空間に棲息してるオッサンが、どのツラ引っ提げて新しい自分だよ?」
 ジェニーが言いながら店内を見渡した。
 壁面からカウンターの上にまでズラリと酒瓶が並ぶ狭小な店内は相変わらず狭っ苦しく、隙間という隙間に詰まった統一感のない伝統工芸品やらカラーオイルのボトルやらも相変わらずで、無造作という語彙を擬人化したかのようなサンオツの胡散臭さまで全てが一分の隙もなく前回と変わらない。
「まぁ鬱陶しさが増してんのも変化のひとつだってんなら、ある意味新しいっつーか進化版って言えんのかもしんねぇけど?」
「全く、相変わらずだぜジェニー。ま、そんなとこがイイっちゃイイし、むしろそんなとこがなくなっちまったら魅力を探すのにひと苦労かもしんねぇな」
「アイラモルトかブレンデッドのスコッチをロックで」
 唐突なオーダーが2人の応酬をぶった切った。
「銘柄は何でもいい」
 そう付け加えた野郎を右隣からジェニーがガン見する。
「何そのコジャレた指定? TPOってものに配慮してやれよ、どこを見たってスコッチなんか置いてるような店じゃねぇだろ?」
「失礼な発言はやめてくれませんかねぇ、お客さん」
「そうっすよジェニー、置いてないのはスコッチだけじゃないんスから」
「おいおいキャシー、お前まで何だよ」
 咥え煙草の唇をニヤつかせた無精髭店主が、背後の棚からラフロイグのボトルを下ろす。
 スコッチをオーダーした佐藤がカウンターに置いたパッケージから1本抜いてライターを引き寄せ、隣席に目を投げた。
「てか、こないだ実家からくすねてきたアードベッグを水みてぇに消費しちまったヤツが何言ってんだ?」
「しょーがねーじゃん、だってあんときアレしかなかったんだから。つーかアイツはスコッチじゃねぇし」
「何度も言うけど、その誤った主張を外で口にすんなよ。そして速やかに認識を改めろ」
「何度も言うけど、俺の基準ではスコッチってのはアルコールを感じさせねぇ水みてぇなシロモンなんだよ」
 だから強烈に泥炭ピートの香る焦げ臭いアイラウイスキーは「オレ的スコッチじゃない」と山田──否、ジェニーは言い張って譲らない。
 最初に体験したマイルドすぎるシングルモルトが原風景となって刷り込まれちまったらしいが、そもそもスコッチってヤツの特徴はスモーキーフレーバーだ。
「どうせアイラも水みてぇに飲んでんだから結局は同カテだろうがよ」
 煙とともにそう吐いた男は、目の前に置かれたグラスを見て呟いた。
「量がパネェな」
 そりゃ、液体が9分目まで注がれていれば無理もない。
 高価なものか百均か判断しかねるグラスの尻を受け止めるのは、明らかにどこぞのキャバクラから持ち帰ったと覚しきコースター。
 艶やかなオネーチャンの写真が華やかなデザインとともに印刷されてるソイツをキャシー以外の3人が数秒無言で眺めたあと、田中がカウンターの向こうに目を投げた。
「あ、ビールはお任せで」
 で、ようやくカールスバーグのボトルが登場。
「グラスは? ニーサン」
「要らない」
「それは良かった。ウチじゃあビールにいちいちグラスなんか出さねぇからな」
 だったら訊かなくていいんじゃねぇか。
 常連以外の3人は思ったが口には出さなかった。
「そんで? さっきから聞いてた限りじゃあ、そっちのニーサンがミランダってわけかな」
 店主の問いから一拍空けて、初訪リーマン2人が互いをチラリと見交わした。
 その目は、どちらもこう言っていた──いや俺じゃねぇよ?
「だから、ジェニーをモラハラ支配してるっつーオレ様彼氏だろ?」
 何が「だから」──?
「まぁ、オレ様彼氏がコイツなのは間違いねぇけど」
 田中が言い、
「オレ様じゃねぇし、彼氏でもねぇ」
 佐藤が言い、
「彼氏じゃなくてオットですもんね」
 正体不明の茶色い液体を呷りつつキャシーが締め括ると、無精髭の目が中央2人の手元を舐めた。
「あぁ、で、その指輪ってわけか。そりゃあなるほどモラハラ支配なオレ様彼氏だな……おっと彼氏じゃなくてオットか。いやダジャレじゃねぇぜ? 今のは」
「ジジイはこれだからよ」
「おいおいジェニーあんた、俺よりオッサンだったよな」
「待った、俺らより若ェのかよ?」
「ご新規さん方までマジな目で訊くんじゃねぇよ」
 そこで、ご新規2人にジェニーを加えた3人、キャシーと店主の2人がそれぞれ同級であることを意味もなく確認し合った結果、彼らは思った。
 ──どうでもいい。
 口には出さなかったが、全員の顔面にそうデカデカと書いてあった。
「ところで蒸し返すようだけど、ミランダってのは?」
 カールスバーグ片手に田中が尋ねた。
「むしろ蒸し返してくれて大歓迎だぜ。ミランダってのは、あんたの隣にいるニーサン。ジェニーのオットな。で、あんたは、そうだなぁ……ローラでいいや」
「は?」
「異議アリ!」
 すかさずジェニーが待ったをぶっ込んだ。
「俺やキャシーがツインテ女子みてぇなネーミングなのに、なんでソイツらは今にもランウェイとか歩きそうな名前なんだよ!?」
「まだツインテはしたことないっすねぇ」
「俺もランウェイは歩かねぇよ」
「俺は歩いてもいいぜ?」
 言ったミランダを全員が見た直後、ローラがすみやかに翻意した。
「わかった、ミランダと2人なら歩こうじゃねぇか」
「そうか、やってくれるか」
 ランウェイモデル2人の視線がほんの一瞬斜めに絡み、素早く解ける。
 その交差をカウンターのサンオツが興味津々に見物し、常連キャシーが全員をチラ見する傍で平凡リーマンの眼差しが鋭く光った。
「ひとつ訊くけどオマエら、まさかスーツで歩くつもりじゃねぇよな? もちろん名前にふさわしいセクシーファッションでお色気たっぷりのモデルウォークをご披露あそばされるんだろうな?」
「お前がそうしてほしいならな」
 ローラが笑顔で請け合った。
「どんなヤツを着て欲しいんだ? 布の面積が極端に小せぇとか、着てる意味ねぇぐらい透けてるヤツか?」
「俺は布が透けてて面積が小さくて、ギラギラのスパンコールでウロコみたいに覆われてるヤツがいいっすね」
「矛盾してねぇかキャシー」
「むしろお前が着てくれよキャシー」
 
 
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