ついでに腹具合も悪かったから小島を追い出してトイレに十三分こもり、大汗かいて出た時には随分スッキリしていた。
 胃も腸も空っぽって感じで身体が軽い。おまけにアルコールでフワフワしてるから、何だか飛べそうな気さえした。
 が、そんな軽やかな気分は台所で素に戻った。
「あ、お疲れ様です」
 山田のベッドに座ってテレビを見ていた小島が、部屋の中から言って寄越した。
「お前、なんでまだいんの? しかも人の部屋で超リラックスモードだし?」
 上着を脱いでネクタイも緩めた後輩は、これ見よがしに長い脚を組んでこっちを見ていた。
「俺、風呂入って寝るから帰っていいぜ。もうお前に用はねぇから」
「ほんっと冷たいですよねぇ山田さんって。終電終わってんのわかってますよね?」
 山田は冷蔵庫の上の時計を見た。零時四十七分。
「お前んちどこだっけ」
「目黒です」
「山手だろ、まだ終わってねぇよ」
「あのね山田さん。目白発の内回りはあと数分後ですよ、終電。間に合うわけないじゃないですか」
「詳しいな、お前」
「自分の最寄り駅の終電ぐらい把握しておいてください」
「お前は自分の最寄り駅でもねぇのになんで把握してんだよ。てかタクシーで帰りゃいいじゃん、お前好きだろタクシー」
 山田は言って煙草を咥え、火を点けた。
「そこが冷たいって言うんですよねぇ」
「俺にどうしろっつーんだよ? 終電を目白駅に止めとけって?」
 そりゃもちろん、というツラで小島が笑う。
「泊めてもらいます」
「いくら俺でもそんな力はねぇぜ」
「電車を止める方じゃありません。宿泊するんです」
「誰がどこに?」
「俺がここに。決まってるじゃないですか」
「お前、今日とおんなじ服で明日出勤したら何か言われんじゃねぇの? 女どもに」
「大丈夫ですよ。山田さんちに泊まったって、ちゃんと言いふらしますから」
「やめてくれ」
「どうしてですか?」
「何でもいいから会社でンなこと言うんじゃねぇ」
「何かマズいんですか?」
「いろいろあんの、大人には」
「四つしか違わないじゃないですか」
「うるせぇな、大学出たてのガキが」
 山田は舌打ちした。
「つーか泊めてやるから何も詮索すんな。佐藤の部屋を貸してやるから勝手に寝ろ」
 イライラと煙草を消してから、部屋に入って着替えを引っぱり出して小島にビシッと人差し指を突きつける。
「いいか、佐藤の部屋に籠もってろ。一歩も出んじゃねぇぞ」
「何をそんなに警戒してるんですか?」
「はぁ? 誰が警戒……」
「ていうか佐藤さん、怒んないですか? 勝手に部屋使ったりして」
「佐藤の部屋じゃなかったら台所で寝るしかねぇけど?」
 山田は言い捨て、小島の反応を待たずにさっさと風呂に入った。
 酔いが抜けきらないままシャワーを使い、若干のぼせ気味になって出た途端、脱衣所の入口が開いて小島の顔が覗いた。
「あ、いいタイミングですね」
「はぁ? 何お前、覗き?」
「お手洗いを借りようと思ったんですけど」
「行けよ」
 風呂の正面にあるドアを顎で示したが、山田に据えられた小島の目は動かない。
「何見てんだよ?」
「山田さん。予告しといたの憶えてます? セクハラはエスカレートしていきますからねって」
「はぁ? 憶えてねーけど、それが覗きに発展したってわけか?」
 全裸のまま被ったバスタオルで髪を拭きながら言うと、小島は緩めただけだったネクタイを解いて襟から引き抜いた。
 頭の左右にあった山田の手首が、男の手でいとも簡単にひと纏めにされる。
「──は?」
 そこにネクタイが巻き付いて、何だかわからないうちに器用な手つきでしっかり拘束される。
「──はぁ?」
 バスタオルの隙間から見上げると同時に括られた手首を引かれ、山田は後輩の腕に抱き留められていた。
「風呂でのぼせました?」
「あァ?」
「すごく色っぽい顔してますよ」
「何言ってんのお前? てか何これ、そういう趣味ねぇから俺」
「俺もないですけど、こうしないと逃げちゃいますよね?」
 小島の笑顔が近づく。
「今よりもっと色っぽい顔、たくさん見せてくださいよ。山田さん──」
 囁きのあと当然のように唇を塞がれ、舌が入ってきて絡め取られる。
 これまでに遭遇した、パワハラの仕返しだというセクハラの数々。つい先日も残業中の山田のもとに現れた小島は、行きがけの駄賃のごとく唇を奪っていった。でも今までされたことといえば、せいぜいそのレベルだ。
 それが何故いきなり、全裸で手首を縛られるというグレードにまでアップするのか?
「……、ッ」
 喉もとから掬うように顎を掴まれて仰向けに固定され、深すぎるキスに呼吸が乱れる。
 ただでさえアルコールによる血圧低下に加え、風呂でのぼせて余計に心拍数が上がってたってのに、その上コイツはダメ押しってモンだった。
 朦朧としながらたっぷり嬲られた末に解放された唇を、小島の舌がゆっくり這う。
「いつも思うんですけど、山田さんって受身なキスに慣れてますよね」
「はぁ……?」
「されるのが、すっごい上手。誰と練習してるんですか?」
「はぁ……?」
「やっぱり佐藤さん?」
「はぁ? 何言ってんだお前?」
「他のとこも練習してるんでしょう? 成果を見せてくださいよ、ねぇ山田さん」
「はぁ? 他って何、意味わかんねーんだけど」
「いつも山田さんが佐藤さんにさせてることですよ。いえ、佐藤さんが山田さんにさせてることもありますよね?」
 小島は言って、ついさっきさんざん貪った山田の唇を指で辿った。
「ここでしゃぶったりとか」
「はぁ? 俺がしゃぶるつったらガリガリ君かチュッパチャプスだけど、どっちだよ? つーかお前、社内の女を食い尽くしたからって男に走る気か?」
「だから食い尽くしてませんって。何回言ったらわかるんですか」
「だったら全部食え、ちゃんと」
「そのうちね。でも間食するぐらい、いいでしょう?」
「だから完食しろよ社内の女子どもを。総務のお局サマまでひと粒残らず」
「そのカンショクじゃありません、オヤツのほうです」
「オヤツは肥るぞ。肥ったらお前、女を食えなくなるぞ」
「オヤツを食べても佐藤さんは肥ってないし、ちゃんと女の子とも遊んでますよね?まぁ、どっちが間食なのかは知りませんけど」
「はぁ? 佐藤が何だよ」
「気づかないとでも思ってるんですか? 俺を見る佐藤さんのあの目。俺が山田さんのそばにいるとすごいですよね」
「いや全っ然、意味わかんねぇし」
「わからなくてもいいですよ」
 小島は山田の手首を括ったネクタイを引き、会社中の女が目の当たりにしたであろう甘ったるい笑顔を浮かべた。
「さて……余計なおしゃべりはこれぐらいにしましょうか、山田さん」
 
 
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