外回りから戻って直行した喫煙所。
 見計らったようにやってきた小島の言葉に、山田はあからさまに顔を顰めてみせた。
「はぁ? なんで俺まで?」
「無理ならいいですけど。でもどうせ予定なんかないですよね? 山田さん」
「後半は余計なんじゃねぇか小島」
「可愛い後輩のためだと思ってお願いしますよ。とにかくそういうことですから」
「可愛い後輩なんかどこにも見あたんねぇし、俺は行くとかまだ……」
 言いかけた山田の視線が、ふと小島の背後に流れた。つられたように小島も振り返る。
「あれ、佐藤。今から?」
 外回りにしてはやけに大荷物を提げて通りかかった佐藤が、山田から小島に目を転じてまた山田を見た。
「あぁ」
「出張ですか、佐藤さん」
 思い直したように近づいてきて煙草を咥える佐藤に、小島が言った。佐藤はたっぷり間を取って火を点けてから、ようやく答えた。
「まぁな」
「どちらへ?」
「大阪」
「へぇ、泊まりですか?」
「だったら何だ?」
 二人の会話をよそに山田はそっぽを向いて煙草を吸い終え、
「お先ィ。あ、そんじゃーな佐藤、また来週」
 テキトーな挨拶を投げて喫煙所をあとにした。その後ろ姿を、残された二人が揃って見送った。
 短い沈黙のあと、すぐに立ち去るかと思われたノンスモーカーの小島が口を開いた。
「帰ってくるの、来週なんですか?」
「いや、明日の夜。明後日が土曜だから週末中遊んで来るって勝手に思ってんだろ、アイツ」
「遊ばないんですか」
「んなカネねぇよ」
「でも泊まりの出張なんて、いいですね。大阪は可愛いコが揃ってるって話じゃないですか」
 佐藤が煙草を咥えたまま呆れたように小島を見た。
「相変わらず女のことしか考えてねぇヤツだな」
「何ですかそれ、人聞きの悪い」
「さっきのセリフ、こっちの女どもに聞かせてやりてぇな。小島くんがこんなこと言ってたぜ? って」
 小島が無言で笑う。
 佐藤は煙草を捨て、じゃあなと投げ遣りに吐き捨てるとエレベータホールに向かって歩いて行った。
「女のことしか──ねぇ」
 去っていく背中を眺めて呟いた小島の声は、佐藤には届かない。もちろん、唇の端に浮かんだ笑みも。
 
 
 喫煙所で山田のもとに持ち込まれた件は要するに、小島が担当するクライアントの接待に一緒に来てほしいという話だった。
 理由は簡単、山田を同席させろとの先方のお達しだから。
「愛されてますね、山田さん」
「うるさい」
 もとは山田の担当だった。当時、随分可愛がってもらったのも事実だ。
 そういう事情により、小島は気に入らなくとも渋々同行した山田は今、タクシーの後部座席で窓に凭れて呻いていた。
「大丈夫ですか?」
「これが大丈夫に見えるか、テメェ」
「山田さんって結構、お酒弱いですよね」
「お前と一緒に飲む時だけだっつの、旨くねぇからな酒が」
「そんな具合悪そうに真剣に言われたら、本気かと思って傷つくじゃないですか」
「本気だから傷ついていいぞ」
「またパワハラですか?」
「うるせぇなぁ、具合悪ィっつってんだろ」
 小島の反応はそれ以上なかった。そのあとは無言のまま、タクシーは山田のアパート前に到着した。
 小島が料金を支払って先に降り、シートの奥から山田を引き摺り出す。腰に回った腕で身体を支えられた山田は、去って行くテールランプを見送ってから小島を見上げた。
「お前、なんでいんの?」
「は?」
「乗って帰れよタクシー」
「山田さん、階段も一人で上がれないのにどうやって部屋に帰るんですか?」
「ばっかテメェ、階段ぐらい上がれるっつーの」
 あやふやな滑舌で言う山田の身体は、ほとんど小島に預けられている。
「身体は正直ですね、山田さん」
「そういうセリフは女に言え」
「何を想像したんです?」
 くだらない会話を交わしつつ、山田の部屋の前まで辿り着いた。
「鍵は?」
「ここ──いいから帰れよ、もう」
「送って来たのに玄関で追い返すなんて、ひどくないですか?」
「当たり前だ、お前が付き合わせたんじゃねぇか今日のは。てかお前、そうやって女にもいちいち恩着せがましく言うのかよ?」
「じゃあ……」
 四苦八苦してようやく鍵を引っぱり出した山田の目の前、ドアを押さえるように小島が手をついた。意味ありげな流し目が覗き込んでくる。
「山田さんも女扱いしていいんですか?」
「とっとと帰れ」
 冗談ですよと笑って小島は鍵を奪い、取り返そうとする山田に構わず玄関を開けた。
 中に入ると、壁に凭れてノロノロ靴を脱ぐ山田を尻目にさっさと上がり込み、二人分の荷物を食卓に置いて水を注いだグラスを手に戻ってくる。
「山田さん、水」
「あぁ……」
 受け取った手の危うさゆえか、口に運ぶ時も小島の手はグラスに添えられたままだった。半ば飲まされる格好になった山田の唇の端から零れた水が滴り、シャツを濡らす。
「う……クソ」
「吐きそう?」
「わかんねぇけど気持ち悪ィ」
 呟くとトイレまで連れて行かれた。
 山田は便器を抱えたが、背中をさすられても出てこない。出したいのに出せないもどかしさに辟易するうち、首の後ろから回ってきた手で顎を掴まれた。
「あ?」
 と反応した途端、口の中に指を突っ込まれていた。何しやがると文句を垂れる間もなく急激に嘔吐感がせり上がってくる。
「ッ……!」
「全部出した方がいいですよ」
 言われなくてもおかげで多分、全部出た。
 
 
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