(旧山田のうち最終話?)
 
 
「まったくよー、マジ困るっつーの、こんな時間まで付き合わせてよォ」
 接待終了で取引先のオッサンを見送ったあと、道端でタクシーを待ちながら山田が時計を見て愚痴った。
「そういえば今日はやけに時間を気にしてましたね、山田さん」
 隣に立つ後輩、小島が言った。
「早く帰んねぇと明日着るシャツがねぇんだよ」
「は?」
 小島が山田を見た。
「だからぁ、アイロン待ちのシャツが溜まっててさぁ、かかってるヤツが一枚もねぇんだよ」
「つまりシャツのアイロンがけのためにそわそわしてたんですか? 今日」
「そーいうコト」
「ほんとに嫌いなんですね、アイロンがけ」
「あー、お前とおんなじぐらいな」
「でも山田さん、今日月曜ですよ?」
「スルーすんなよ、月曜だから何なんだ」
「いまから帰って四枚もアイロンかけるんですか?」
「かけねぇよ一枚だよ、一枚が限界だよアイロンなんか。それ以上やったら失敗して火傷とかすんだろ」
「普通はしません、火傷なんか」
「うるせぇな、俺は凡人じゃねぇんだよ」
「はいはい超人ですね。じゃあ、これから一週間、毎晩一枚ずつシャツのアイロンをかけるつもりなんですか?」
「やりたかねぇけどな、リーマンなんかシャツでメシ食ってるようなモンなんだからしょうがねぇよな」
 その意見には賛同しかねた小島だが、敢えて異は唱えなかった。
 代わりに、近づいてくるタクシーの提灯を見て手を挙げた。
「そんな苦しみを乗り越えなくても、いい方法がありますよ」
「なんだ?」
 訊き返した山田に、小島が会社中のオンナというオンナにあまねく見せまくったはずの笑顔を向けた。
「俺がかけてあげます、アイロン」
 
 
 後輩は先輩が溜め込んだシャツたちにアイロンをかけるためだけに、タクシー代を一万円以上遣った。
 まず先輩のボロアパートへ行ってシャツの山を搬出し、待たせておいたタクシーで自宅に搬入した。
 搬入したのはシャツだけじゃない。先輩本人もだ。
「ここでかけて帰りゃいーじゃん」
 口を尖らせてブーたれた山田だったが、かけてほしければ一緒に来いと言われて真剣に悩んだ末、あらゆるメリットとデメリットを天秤にかけて安易に流れた。
 こうして金持ちしか住んでないマンションに着くと、小島はシャツの山から一枚だけ抜いて残りを二十四時間体制のコンシェルジュに預けた。
「無理を言えば明日の朝までに仕上がりますけど、一枚くらいなら俺がかけますよ」
「てかお前そもそも、自分がかけるって大口叩かなかったか?」
 とにかく金持ちの後輩は鞄とシャツ一枚を脇に抱えてカーペット敷きの通路を歩きだし、あとに続きながら山田は言った。
「そういや、前にクリーニング屋が入ってるっつってなかったっけ」
「言いましたっけ?」
「たぶんな」
「それがどうかしたんですか?」
「クリーニング屋じゃねぇじゃん」
「コンシェルジュで取次をやってるって言っても、山田さんに伝わらない気がしたんじゃないでしょうか」
「お前、俺を何だと思ってやがんだ? それぐらいボヤッと想像できんぜ、俺だって」
「ボヤッとね」
 小島が笑った。
 自宅に入ると小島は上着を脱ぎ、シャツの袖を捲りながら言った。
「とにかくこれだけアイロンかけちゃいますから、その間に山田さん、風呂に入ってきてください」
「俺に指図すんな」
「じゃあ、ほかに何するんですか?」
 ほかに何もすることがないから風呂に入ることにした。
「着替え持ってきました?」
「持ってきてんじゃねーか、お前がうるせぇから」
 山田はブツブツ言ながらウォールハンガーにスーツ一式を引っ掛けた。
「そうじゃなくて、風呂に入ったあとの着替えです」
 山田が無言で小島を見た。
 小島もアイロンを手にしたまま山田を見返した。
「あ、なければ裸でいてもらっていいんですよ」
「相変わらずの変態野郎だな、てかなんか貸せよ、お前が拉致ってきたんじゃねぇか」
「まぁいいですけど。俺の服に埋もれた山田さんって可愛いですからね」
「俺は子供かよ、埋もれるほどサイズ違わねぇっつーの」
「パンツもいりますか?」
「お前のことだから未使用のもらいモンとかあんだろーが」
 山田は言って風呂場に向かった。まったくもって不本意ながら、来たことがあるから勝手は知ってる。
 広くてキレイで無駄に夜景が見渡せるバスルームは、ボロアパートの古くさくて狭苦しい風呂とはカテゴリからして別物のような気がする。夜景が見えるような風呂に夢なんか抱いちゃいない山田だったが、それでも広いのはいい。
 ゆっくり浸かってたっぷり堪能して出ると、脱衣所に着替えが置いてあった。パンツは未開封のドルガバだ。
 リビングに戻るとアイロン掛けは終わっていて、皺ひとつないシャツがスーツの隣に並んでいた。
 キッチンの方からTシャツにジーンズ姿の小島が現れた。手には、ライムを突っ込んだコロナのボトルが二本。
 スーツを着れば嫌味なぐらい洗練されたリーマンに見え、ラフな格好をすれば嫌味としか思えないぐらいサマになってる男前な後輩は、その上カネまで持ってるとくるから始末に負えない。
「パンツのサイズ、ちょうど良かったでしょう山田さん」
「あぁ? まぁな?」
「お察しのとおり、もらいものなんですけど。俺より山田さんのサイズだなって思ってたんですよね」
「俺のケツのサイズを推し量るな」
「推し量ったんじゃない、知ってるんです」
 小島がボトルを一本差し出し、言った。
 山田は受け取り、壁のシャツを見て言った。
「小島お前、カネ持ちのくせになんであんなアイロンうめぇの?」
「金持ち云々はともかく、別にアイロンはもともと得意なわけじゃありませんよ。練習したんです」
「はぁ? 練習? 物好きなヤツだな」
「山田さんのためじゃないですか」
「──」
 無言でスルーした山田の肩に小島の手が回る。その手つきのさりげなさは、さすがというべきか。感心してる間に山田は引き寄せられていた。
「山田さん」
「いちいちくっつくんじゃねぇ」
「やっぱり服に埋もれてますね。可愛いですよ」
「だから埋もれてねぇっつーの、どんだけ小せぇんだよ俺は。標準だっつーの標準」
「肩の微妙な開き具合が色っぽいし」
「いいから風呂入ってこいよ、お前」
「それ、誘ってんですか?」
「はぁ?」
 押し退けようとした手をとめ、山田が小島を見上げた。
 その唇に小島の唇が触れ、チュッと音を立ててすぐに離れた。
「とりあえず、あのシャツの分のご褒美ってことで」
「お前、シャツ一枚アイロンかけたぐれェで、ンなチュウなんかして許されると思ってんのか?」
「もちろん、こんなチュウ程度で許しませんよ?」
「ん? ……うん?」
 額のあたりに疑問符を浮かべた山田を解放し、小島が煙に巻くような笑顔を見せた。
「風呂に入ってきます。先にベッドに入って待っててください」
「ヘンな言い方すんじゃねぇ、先に寝てろの間違いだろ。つーかソファでいいし俺、フカフカだし」
「フカフカで寝ると腰が痛くなりますよ」
「お前と寝ても腰が痛くなるんじゃねぇのかよ」
「うまい、山田さん。真理です」
「はぁ何が真理? てかマジ眠ィし。明日も仕事じゃねぇか畜生、つーかまだ一日しか終わってねぇし今週、マジ寝るからな俺は」
「はいはい、わかりました。いいですよ、寝込みを襲いますから」
 二人は分かれ、それぞれバスルームとベッドルームに向かった。
 まったくもって不本意ながら、どのドアがその部屋なのかも山田は知っていた。
 
 
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