気がついたら、いつのまにかタクシーのシートに沈んでた。
 正確に言えば、どうやらタクシーのシートに沈んでるようだった。
 で、あれ俺、誰かに寄りかかってんなぁ──そう思うそばからまた意識がなくなって、次に気がついたら腕を引かれてアパートの外廊下を歩いてるようだった。
 で、あー俺、まっすぐ歩けてねぇなぁ──そう思うそばからまたしても意識があやふやになって、何がどうなったのかよくわからないまま、次に気がついたらどうやらベッドの中にいるようだった。
 誰かが自分を壁際に押し遣って隣に潜り込んでくる。
 で、このベッド狭いんだけどなぁ、でもしょうがねぇよなぁ──そう思いながら半分眠った状態で、間近に横たわる気配のサイズ感を夢うつつに推し量って、ほとんど声にならない声でモゴモゴ呟いた。
「うん……? 丸ノ内さん……?」
 が、答えはなく、もはや答えがないことを認識する間もなく再三意識を失って、次に気がついたらもう朝だった。
 
 
「いやいやいや、マジすんません銀座さん」
 シンクの前で胃薬を飲んだあと換気扇のスイッチを入れて、有楽町は煙草に火を点けた。
 起きたら、というか起こされて目を開けたら、メタルフレームのインテリ面に見下ろされてて朝っぱらから軽く度肝を抜かれた。
 といっても、間違ってもベッドの上でのし掛かられてたとかいうわけじゃない。すでに身支度を調えた銀座が脇に立って、いい加減起きないと身ぐるみ剝がして着替えさせるぞ、という脅しを高みから投げ落としてきただけだ。
 確かに昨日の仕事帰り、ばったり出くわした銀座に誘われて飲みに行った。が、途中からの記憶が抜け落ちてる。
「俺、どこらへんから酔っ払ってました?」
「さぁな。帰ろうとしたらフラフラになってた」
「もしかして2軒目とか行きました?」
「行ってない。ずっと最初の店だったことも覚えてないのか」
「えぇまぁ。俺、支払いどうしました?」
「財布を出そうという努力はしてたな」
「それってつまり払ってないってことですよね。あの、いくらでした? てか帰りタクシーっすよね。タクシー代も請求してください」
「身体で払ってもらったからいい」
「──」
 有楽町は無言で煙を吐いて己の身体を見下ろし、念のためケツに力を入れてみたりなんかしてから銀座に目を戻した。
「いやいや、どこも何ともねぇし」
「いま具体的にどういう想像を働かせたのか、参考までに聞かせてもらってもいいか」
「いやあの、マジで頭回ってないんで勘弁してくださいよ」
 結局何ひとつ明確にならないまま部屋を出てから、有楽町はふと思いついて訊いた。
「俺の服って銀座さんが着替えさせたんですか?」
「いや、朦朧としたまま自分で着替えてたぞ」
「あぁよかった」
「俺の前でストリップしてな」
「──」
「もうちょっと色っぽく脱いでくれってリクエストしたのに、お前……」
「そういや銀座さん、風呂とかどうしました?」
 知りたくもないようなことを聞かないうちに、素早く遮った。
「風呂? 俺は勝手に入ったけど、お前は入ってない」
「あぁそーすか。ちなみに下着とかどうしたんですか」
「勝手に漁って借りた」
「え、俺の?」
「馬鹿言え、お前の中古でSサイズな上にピンクやら黄緑やらの派手派手しいヤツを俺が穿くと思うか?」
「あー、セクシィすぎて眩しいっすねぇ」
「けど、見たければ穿いてやってもいい」
「俺ごときの目には勿体のうございます」
 丁重に遠慮したら、ただならぬ上から目線と鼻先の一笑が降ってきた。
「とにかく、そんなもの穿くぐらいならコンビニに買いに行くけどな、幸い新品のMサイズを見つけたからソイツを使わせてもらったぞ」
「え、それって黒いヤツですか?」
「あぁ」
 そのパンツは──ノドまで出かかった言葉を口に出すべきか否か有楽町が迷ったとき階段を下りきると同時に、ちょうど下の部屋のドアが開いて副都心が出てきた。
「あ、有楽町さん、おは……あれぇ? なんで銀座さんがいるんですか?」
「あぁいや、ゆうべ一緒に飲んで連れて帰ってもらったらしい」
「らしいって、また記憶なくしたんですか?」
 先輩2人の顔を交互に見た副都心に、銀座が顎のひと振りで応じる。
「まぁ、あれだけ強いのばっかり水のように飲んでりゃ無理ないな」
「アルコール強いですよねぇ有楽町さん」
 後輩の言葉に有楽町はフラフラと首を振った。
「あー、違うんだなぁ副都心。強ぇなら酔っ払わねぇんだよ。俺は単に粘膜が度数を感じねぇから飲めるだけであって、肝臓が強いわけじゃねぇ」
「そんだけ自己分析できてんのに、なんで飲んじゃうんですか?」
「だからぁ、感じねぇじゃん? せっかくアルコール飲みに来てんのに何だこのジュースって思うじゃん? そーすっとさぁ、うっかり飲んじまうわけよ」
 欠伸まじりに有楽町が説明すると、あぁ……と銀座が呟いた。
「ゆうべもそんなこと言いながらストレートばっかり流し込んでたよな」
「てか、とめてくださいよ銀座さん。わかってんだから歯止めになってくんないと。保護責任者遺棄罪っすよ」
「俺は丸ノ内と違って、お前の保護者面はしない」
 丸ノ内の名前が飛び出して一瞬言葉に詰まった有楽町の隣で、いやいや、と副都心が口を挟んだ。
「丸ノ内さんも歯止めになってませんよね、だってよく有楽町さん運んできて泊まってってるし」
「ちょ、ンな、よくっつーほどしょっちゅうじゃねぇし、お前は女んとこ転がり込んで家いねぇときも多いのに把握してるふうな口きくんじゃねぇよ副都心」
「そう、俺いないときも多いのに、それでも何度か遭遇してますもんね丸ノ内さんに」
「──」
 それ以上の否定はもう諦めた。副都心の言うことは間違っちゃいないし、別に隠すことでもない。
 ただ、そう。何が問題かっていうと、つまりさっき銀座に言いそびれたアレだ。黒のMサイズのパンツ?
 ここ最近、丸ノ内が泊まることが以前よりも多くなった。年を食うごとに飲んで潰れる頻度が上がって、アパートまで運ばれるパターンが増えてるせいかもしれない。
 で、問題のパンツは丸ノ内が前回泊まったときに、毎度コンビニで買うのが面倒くせぇからって2つ買って、次回用にと置いてった残りのひとつというわけだった。
 相手が銀座以外なら、ソイツは丸ノ内さんのだから買って戻せよとか軽くツッコんだり、でなきゃ使われちまった事実を本人に伝えるところだけど、彼らの折り合いの悪さを考えると如何ともしがたい──
 思いながら銀座をチラ見したら、取り澄ました顔とまともにぶつかった。
「あ、え? 何すか、その目?」
「いや?」
 前方に目を戻して銀座が呟く。
「丸ノ内がねぇ……」
「だから何ですか!?」
「いや、別に?」
 たっぷり含みのある目は絶対肚に何かを隠してるに違いないのに、やっぱり結局何ひとつ明確にならないまま駅に着いて、3人で満員電車に押し入った。
 そして3駅隣で乗り込んできた乗客の中に、噂をすれば何とやらの顔を発見した瞬間、有楽町の脳内を黒いボクサーパンツがふわりと舞い過った。
「ま──丸ノ内さん」
「なんだ、その不景気なツラは?」
 有楽町を見るなり眉を顰めた丸ノ内の目が、あとの2人を一巡して再び有楽町に戻る。
「なんで銀座がいるんだ」
「あー、そのですねぇ」
「有楽町さん、銀座さんと飲んで潰れて今日は同伴出勤なんですよ」
 副都心が脇から屈託なく爆弾をぶっ込んできた。
 その直後だ。閉まったばかりのドアが再び開いて、こんなアナウンスが流れたのは。
 お急ぎのところ大変申し訳ございません、時間調整のため当駅で2分少々停車いたします──
 やたらジェントルな車掌の声が消えると、車内は不自然な静寂に満たされた。
 勘弁してくれ──有楽町は天を呪った。そうでなくても局地的に張り詰めた沈黙の只中に立たされてるってのに、何なんだこの静けさ?
 が、そこでふと、これまでにも何度だって繰り返した自問を今ひとたび繰り返してみる。
 待てよ、そもそも何だってこう毎度毎度、板挟みにならなきゃなんねぇんだ?
 他のヤツらはごくごく普通に丸ノ内、銀座の双方と接してるってのに。何故自分だけが、ロミオと遊んできたジュリエットみたいに責められなきゃならないのか?
 大変お待たせしました、まもなく発車します──アナウンスがようやく出発を告げたとき、折しも乗り換え客の一群がやってきて、ただでさえ過密状態の車内にダメ押しの圧縮を喰らわせた。
 押されて流され、気がついたらホットサンドメーカーで調理中の具材みたいにパンならぬリーマンスーツに前後からプレスされていて、息苦しさと妙な閉塞感に顔を上げたら、ふたつの目線が降ってきた。
 ほぼ同じ高さから注がれる、丸ノ内の目と銀座の目。
 かと思えば隣のハゲ親父を挟んだ向こうでは、どっかの知らないOL風女子と密着して鼻の下を伸ばしてる副都心の姿が、視界の端を掠めたりなんかもして。
「──」
 だから、なんでこう──俺だけが板挟みに……?
 
 
【END】

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