「丸ノ内さんと銀座さん? んー、特に何ってこともないと思うんだけどなぁ」
 東西が大袈裟に首を傾げて上目遣いに宙を睨んだ。
 丸ノ内と銀座の反目について、何か原因でもあるのかと尋ねた有楽町への回答だ。
「ほら誰しも、どうしても気が合わないっていうかぁ、どう頑張ったって平行線で相容れない相手っているじゃない?」
「私、別にいないわよ?」
 東西の隣で南北が言った。
「僕もいないかなぁ」
 南北の正面で千代田が言い、
「あー、俺もいない気がする」
 千代田の隣で有楽町も言うと、
「実は僕もいないんだけどぉ」
 有楽町の正面で東西が笑った。
 その夜、彼らは飯田橋にある東西南北カップルおすすめの鶏料理居酒屋にいた。
 昼間、千代田とメシを食って戻ったときにエレベータホールで2人とばったり会い、あー鶏肉食いてぇと有楽町がボヤいたらこの店の話が飛び出して、善は急げとばかりに今夜の来訪と相成ったというわけだ。
 他のメンバーも見かけたなら声をかけるつもりではいたものの、会社を出る時点で丸ノ内は出先からまだ戻らず、半蔵門は予定があるとかで、他課のヤツらには出くわさなかったから増員なしの4人でやってきた。
「まぁさ、普通ならそういう相手とは関わんなきゃいいわけだし、実際あの2人も初めは距離置いてたらしいんだけどぉ」
 空いた串を指先でクルクル回しながら東西が続ける。
「何かの飲み会で日比谷さんが両方に声かけて以来、ちょいちょい一緒になる機会が出てきたっぽくて? まぁでもやっぱり、お互い必要以上には近寄らないって感じだよねぇ」
「日比谷さんがまた社交的だもんねぇ」
 肘をついた手に顎を預けて、南北がレバーの串にかぶりつきながら頷く。
 滴らんばかりの濃厚なタレが彼女のウルトラストレートの髪を掠めそうになり、東西が横から手を伸ばしてそれを払った。
「ちょっとぉ浅葱、髪にタレがついちゃうよぉ」
「だからさぁ空くん、タレが怖くて焼き鳥食えるかってのよ。タレがつくのが嫌なら塩を食べればいいじゃない」
 かのマリー・アントワネットの暴言調に言い放った南北に、ねぇ有楽町さんと同意を求められて、自他ともに認める鶏料理好き選手権代表は力強く頷いた。
「そうだぜ、汚れんのを恐れながら食うなんざ鶏肉への冒涜だぜ?」
 そして4本目の正肉を食い終えるや否や、ささみ梅しそをパクリと咥えて有楽町がうっとりと溜め息を吐く。
「あー鶏と梅、最強コンビ」
「ていうか芥子、昼も山盛り鶏肉食べたのに飽きないよね」
 千代田が苦笑した。
 社内メンバーの中では彼だけが唯一、有楽町をファーストネームで呼ぶ。理由は単純明快、和からしが好きだから。今も鶏モモのからしマヨ焼きなるものをつまみつつ、焼酎を流し込んでる。
「油淋鶏定食に単品で鶏肉のカシューナッツ炒め追加するって、普通ないよね。昼メシで」
「えーっ有楽町さん、昼にも鶏食べたとは聞いたけど、そんなに食べたんですかぁ!?」
 レバーの最後のひと切れを咥えていた南北が驚いて串を引き、はずみでタレが頬に茶色い筋を描いた。
 それを横から東西がおしぼりでサッと拭いてやる。女子っぽくはあっても、さすが年上の彼氏と言うべきか、はたまた女子っぽいからこそ為せる気づかいと言うべきか。
「いや、だってさぁ、いくら俺だって定食ふたつは食えねぇもん。そりゃ片っぽは単品にするぜ」
「違う違う、そこじゃないよ芥子」
「いやいや千代田さん、そもそも昼は昼、夜は夜、別もんだし。昼に鶏食ったからって夜は牛じゃなきゃなんねぇ理屈もないし。昼も夜も鶏肉、上等じゃないですかぁ。だって今日付き合ってる彼女と明日の彼女が違ったりします? しないっすよねぇ東西さん、今日も明日も彼女は南北ですよねぇ?」
「えぇ? うん?」
 東西がハの字にした眉に戸惑いを匂わせ、続けた。
「えっと……まぁそうなんだけどぉ、細かいこと言うとさぁ、昼に食べた鶏と夜食べる鶏は別の彼女じゃなぁい? だってそれって別の個体なんだから、今日の彼女と明日の彼女は違うけど、どっちも人間の女の子なんだから自分は一途だっていう主張になっちゃうよねぇ?」
「えー? じゃあさ、じゃあさ、昼は鶏肉で夜は牛肉食った場合は? 今日は彼女で明日は彼氏ってことにでもなるんですか?」
「なんか論点ズレてきたわねぇ」
 ハツに齧りつきながら南北が首を捻るが、まぁそこはそれ、酔っ払いの応酬だ。
 が、そのときだった。いつしか会話が途切れて静まり返っていた隣のテーブルから、てかさぁオカマだよな? という小声と忍び笑いが聞こえてきたのは。
 次の瞬間、4人の目が無言で交叉するが早いか、千代田が猛然と椅子を蹴って立ち上がっていた。手のひらを叩きつけられたテーブルの上で皿やグラスがジャンプして、周囲の目が一斉に集まる。
「ヘイヘイ、ウェイウェイウェイ千代田さん狭いからここっ」
 隣席の野郎2人が東西を指して笑ったことは明らかだったが、だからってこの場で江戸の華をド派手に咲かせちまうわけにはいかない。完全に戦闘モードの形相に塗り変わった江戸っ子バージョン千代田が暴れ出さないうちに、有楽町が早口で制して素早く椅子に引き摺り下ろした。
 寸前までの優等生面はどこへやら……といった千代田の変貌ぶりを隣の2人が唖然と眺める一方で、押さえたグラスから手を離して南北がのんきに笑った。
「やだもう何ウェイウェイって、海外ドラマの観すぎですよう有楽町さん」
 その南北の隣では、東西が彼女に負けないくらい可憐な笑顔を後輩に向けていた。
「ありがとうね、千代田くん。でも放っときなよ、僕なら気にしないから。それにさぁ」
 そこで思わせぶりに言葉を切った女子系33歳リーマンは、薄く開いた唇の隙間をそろりと舌先でなぞると、細めた目に淫靡な光を閃かせて若いオス2匹を視線で舐め回した。
「オカマなら掘るほうが好きなんだよねぇ、僕」
「──」
 隣のテーブルは数秒沈黙したあと、素早く店員を呼んで会計を願い出た。
「あれ、帰っちゃうんだ? 残念。そっちの彼なんかいい声で啼きそうなのになぁ、ねぇ」
 両手で頬杖をついて可愛らしくニヤつく得体の知れないリーマンに同意を求められ、大学生っぽい2人組は店員を待たずに荷物を抱えて席を立った。足早にレジのほうへと去っていく後ろ姿には、粘つく視線から一刻も早く逃れたい気持ちが貼りついていた。
 彼らを見送ってから、南北が暗がりの猫みたいな眼差しを彼氏に向けた。
「空くん、掘ったことあるの?」
「やだなぁ、ないよう」
「なぁんだ」
 彼らのやり取りの向かい側では、千代田が何事もなかったかのような顔でからしマヨ焼きを口に放って有楽町を見た。
「で、ちょっと話戻るけど、あの2人のあれは完全に同族嫌悪だよね」
 その優等生然としたツラを数秒眺めて、他の3人はチラリと目を交わした。
 あの2人──?
 一瞬、隣から移動してったヤツらのことかと思いかけて間違いに気づく。
「あ、丸ノ内さんと銀座さん?」
 訊き返したのは有楽町じゃなく南北だった。
「そうそう」
「うーん、まぁサイズ似てるし、上から目線なとこも似てるしねぇ」
「うん。それに、あと……」
 頷いた千代田の目が、意味ありげに有楽町を掠める。
「芥子を好きなところも同じだよね」
「いやその好きってのは」
 だから、どういうアレなんですか──そう続けるより早く東西が言った。
「ねぇねぇ有楽町くんはさぁ、丸ノ内さんと銀座さん、どっちが好きなの?」
「はぁ?」
「あ、もちろん、あの2人じゃなくて日比谷さんのほうが好きって回答もアリだし、半蔵門くんとか千代田くんとか副都心くんとか、みーんな引っくるめた選択肢の中で選んでもいいよ? あ、僕は入れちゃダメだけど」
「てか、選ぶって?」
「うん、そう。誰が一番好きなのか」
「いやあの、どういう基準で答えりゃいいんですかそれ?」
「まぁまぁ、そんなの誰が一番かなんて決めなくたって、いろんな相手に可愛がられればいいんじゃないかしら」
 一同を見渡して言った南北がハイボールのグラスをカラにして、すみませーん! と店員を呼んでから有楽町に目を戻した。
「あーほら鶏肉と一緒で、ね? お酒飲ませて世話焼いてくれる男が今日と明日で違ってたって、別にいいじゃないですかぁ。ねぇ有楽町さん?」
 
 
【END】

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