「あー眠い、あぁぁあ眠い」
 突然喚いて机に突っ伏した有楽町の後頭部に、半蔵門が困った子を見るような目を向けた。
「畜生、くっそ眠ィ……!!」
「はいはい、今度は何やって寝不足なんですか?」
 すると有楽町は某動画視聴サービスの名称と、かつて流行った海外ドラマのタイトルを挙げ、切々と訴えた。
「うっかり観はじめたらとまんなくなってよう、あるだろ? 久々に観たら昔気づかなかったものが見えてきたりして、これって何だっけとか気になってしょうがなくなる的な?」
「わかんなくはないですけど、まぁ俺はないですね」
「あぁそうかよ」
「で、何時に寝たんですか?」
「寝てねぇ」
「は?」
「おかげさまで徹夜だぜ」
「いや春休みの男子高校生とかじゃないんですから有楽町さん」
 そこへ日比谷がふらりとやってきた。
「あれ、丸ノ内いないんだ?」
「出かけてますよ」
「2人とも、お昼は? まだだったらどっか食べに行かない?」
「あ、もうこんな時間ですか」
 半蔵門が腕時計を覗き、有楽町がやたら緩慢な動作で机から頬を引っぺがした。
「あー俺今日、弁当つくってきたんですよねぇ」
「え? 連ドラで徹夜したんですよね? 有楽町さん」
「え? 有楽町、徹夜なの?」
「そうそう、だから徹夜ついでに作っちまったっつーかぁ、まぁランナーズハイ的な衝動っすかねぇ」
 気怠い滑舌で答える有楽町の半眼を眺めてから、日比谷は半蔵門に顔を向けた。
「半蔵門は?」
「まだ決めてません」
「えっと、じゃあ上に行かない? 有楽町も弁当持ってけばいいじゃん」
「あぁそうっすねぇ」
 上ってのは最上階にある社食のことだ。コジャレたカフェ風のスペースで、昼どきにはランチビュッフェを展開してる。
 というわけで、歩きながら眠っちまいそうな有楽町を先輩と後輩がフォローしつつ、どうにか社食に辿り着いた。
 ビュッフェ利用の2人がトレイに食料を並べてテーブルに戻ると、有楽町はカラフルなランチバッグの上に突っ伏してほとんど夢の中だった。
「有楽町って料理するんだっけ? よく弁当箱なんか持ってたよね」
「いやこれ、何かの景品っぽくないですか? それか、取引先で余ってたノベルティをもらったとか」
 話し声が聞こえたのか、有楽町が顔を上げた。頬に把手の跡がついてる。
「あー眠ィ」
「わかりましたから、とにかく食べたらどうですか。せっかく徹夜して作ったんだから」
「え、俺、弁当のために徹夜したんだっけ」
「わぁ、すごい寝ボケっぷりだねぇ」
 笑った日比谷の前で有楽町がノロノロと弁当箱を取り出し、蓋を開けた。
 その瞬間、日比谷の笑顔と半蔵門の目がフリーズした。
「──」
「有楽町──それさ」
 蓋というヴェールを厳かに脱いだ弁当箱をガン見したまま、日比谷が呟く。
 そこにあるのは、とにかく一面の赤いカーペットだった。
「梅干しだよね……?」
「えぇ梅干し弁当っす」
「いや梅干し多すぎっていうか梅干しオンリーですよね、それ」
 半蔵門が真顔で確認する。
「何言ってんの? ちゃんと下にメシもあるぜ? パック飯レンチンしたヤツだけどな」
「ごはんがあればいいってもんじゃないです。あのね有楽町さん、いくら梅干し好きだからってそんなに食うのはさすがに塩分摂りすぎですよ」
「あ、大丈夫、すげぇ減塩だからこれ」
「いや、だからって……」
「あークソ、鶏肉食いたくなった」
「いきなり何ですか」
「だって梅干しっつったら鶏肉だろ? ゴールデンコンビだぜ?」
「こないだは鶏肉といえばマヨネーズだって力説してましたよね」
「チキンはお前、何とでも合うんだよ結局。オールマイティな食いもんなんだよ。食いもんっつーより、もはや飲みもんだよ」
「意味不明です」
 彼らの応酬を聞きながら日比谷が席を立ってビュッフェカウンターに向かい、皿を手に戻ってきた。
 ほら、と有楽町のほうへ差し出されたそこには、スライスされた白くて滑らかな肉が数枚載っていた。
「サラダ用のチキンならあったから、これでよければ食べなよ」
「やべぇ、日比谷さん、神っす」
「甘やかしすぎですよ日比谷さん、間違った優しさは有楽町さんをダメにするだけですからね」
「なんか、甘いお母さんと厳しいお母さんみたいだね、俺たち」
「で、丸ノ内さんがお父さんですか?」
 夥しい量の梅干しを白米とチキンで消費していく有楽町を、正面に座る2人は今日も生ぬるく見守る。
「あー梅干し最高、あーチキン最強」
「どうしようもないですね」
 半蔵門が諦めたように首を振って味噌汁椀を啜った。今日のビュッフェメニューは和食メインのラインナップだった。
 煮物の根菜をひとつ口に放った日比谷が、何かを思いついた顔で頬杖をついた。
「ねぇ有楽町?」
「はい?」
「梅干しはさぁ、赤いから好きなんだよね?」
 謎かけのような問いかけを受けて、有楽町の顔面いっぱいに疑問符が貼りつく。
「ん? どういう意味ですか?」
「だから、ほら。赤が好きだもんね?」
「え? 赤?」
 あぁ、と半蔵門が得心がいった反応を示した。
「丸ノ内さんの……」
「そうそう」
「え、なんで2人とも通じ合っちゃってんの? てか、この梅干しが丸ノ内さんからもらったヤツだからって何?」
「え?」
 予想外の真相が飛び出して、日比谷と半蔵門は有楽町を数秒ガン見した。
 ドS係長からもらった梅干し──?
「まぁそりゃあ、丸ノ内さんのバーチャンが作る梅干しが一番ウメェよ? あっ今のダジャレじゃねぇからな言っとくけど!」
「あ、え? うん……」
「けどよう、もらい始めの頃はさすがの俺にすら結構しょっぱくてさぁ、何年目だかについに言っちまったわけ、旨いんだけど実はちょーっと味濃いんすよねーって」
「え、そんな前からもらってたんですか? しかも毎年?」
「うんまぁ、最初に梅干し好きがバレたときにバーチャンが作ってるってのを丸ノ内さんが話してくれて、羨ましいっすねぇって言ったらもらってきてくれて、それから毎年?」
 そんなの初耳だなぁ、と日比谷がボヤき、で? と先を促す。
「そんで、だから途中でしょっぺぇってカミングアウトしたら、次の年から俺用に減塩バージョンを作ってくれるようになって。日持ちしねぇけど、どうせすぐ食っちまうし」
「一応確認するけど、作ってくれるのはおばあちゃんだよね? 丸ノ内じゃなくて」
「え? そうですよね?」
「いや俺が訊いてるんだけど」
「いや丸ノ内さん作んないっすよね梅干し?」
「──」
 何となく、3人はしばし沈黙した。その間、彼らの脳内には、晴れた夏の休日に自宅のベランダでザルに梅を並べる丸ノ内の姿があった。
 ──いや、ねぇよな?
 やがて気を取り直して半蔵門が言った。
「ひとつもらっていいですか?」
「おぅ、食えよ」
「あ、俺ももらっていい?」
「どうぞどうぞ」
 弁当箱に敷き詰められた梅干しをひとつずつ摘んだ半蔵門と日比谷は、その思った以上にふくよかな甘みと酸味をじっくり味わった。
「あ、ホントだ旨い」
「へぇ、優しい味ですねぇ」
「な? だろ? 際限なく食えるよな?」
「いや、有楽町さんのそれはいくら何でも食いすぎですから」
 そうかぁ? と首を捻った有楽町が、ふと日比谷を見た。
「そういやさっき日比谷さん、赤がどうとか言ってませんでしたっけ」
「うん、言ったよ」
「で、何すか赤って?」
「だからほら、丸ノ内の名前に緋って字が入ってるじゃん? 緋色の緋」
「あぁ……で?」
「だから、赤が好きなんだよね? って」
「うん……?」
 梅干しを載っけたサラダチキンを口に突っ込んで、有楽町がモグモグしながら眠たげな目を宙に投げる。
「えっと、それってだからつまり、丸ノ内さんの名前と同じ色だから梅干しが好きなんじゃねぇかって?」
「そう」
「いやあの俺、そりゃあ丸ノ内さんは好きだけど、赤くねぇ梅干しも好きっすよ?」
「あ、えっと……うん、まぁいいや、もう」
「えぇ? 何なんですかぁ?」
「いや、何でもない。ていうか、ねぇ有楽町?」
「はい?」
「梅干しと丸ノ内、どっちが好き?」
「え──」
 モグモグする口の動きが次第に緩慢になり、やがて完全に止まった。
 そのままウンともスンとも言わなくなった有楽町を対岸から眺めて、日比谷と目を交わした半蔵門がしみじみ呟いた。
「餌付けの効果、ナシですかねぇ?」
 
 
【END】

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