佐藤と山田と鈴木が昼メシから戻ったとき、ちょうど田中と嫁コンビに出くわした。
「あっ皆さん、おつかれさまです」
 にこやかに挨拶を寄越した嫁のユリアは、ぼちぼち産休に入るらしい。
 親父さんの夢叶い、元ネタのキャラ似に育った彼女はシュッとした長身の才色兼備、一途で控えめ、それでいて信念を曲げない強さまで装備してる。べつの言い方をすれば、少々思い込みが激しい。
 まぁともかく、田中とふたり並んで立っていれば傍目には理想の夫婦だった。
「大きくなってきたねぇ」
 鈴木がユリアの腹を見て言い、
「田中ジュニアが入ってんだもんなぁ」
 しみじみと山田も言い、
「どこでメシ食ってきたんだ?」
 田中が佐藤に訊いた。
 佐藤が馴染みの定食屋を答え、あー俺最近行ってねぇなぁと田中がボヤくと、そんな夫に妻が笑顔を向けた。
「私が産休に入ったら、また皆さんと行けるでしょ」
「てか、たまには二人も一緒に来りゃいいじゃねぇか。なぁ田中」
「あのな佐藤、お前らのバカ話に付き合ってたらメシ食えねぇだろコイツが」
 コイツってのは嫁のことだ。
「優しいですねぇ田中さん」
 と鈴木。
「じゃあ俺ら一服してくからまたな」
 これは山田。
「あ、俺もちょっと行ってくる」
 嫁に言った亭主は、牽制するような目を向けられて苦笑した。
「わかってるよ、吸わねぇから」
 で、四人揃って廊下の奥へとゾロゾロ歩いた。
 昔はちょっとした仕切りだけで設けられていた喫煙スペースは、いまでは人目に触れないフロアの隅っこで完全に隔離されたブースとなっている。
 それも、何故かすごくスタイリッシュで高機能な喫煙ルームだ。
 一時は廃止案まで持ち上がった喫煙所が存続することになり、それどころかやたらカネのかかった設備が導入された背景には、どうやらお偉方の覚えがめでたいヘビースモーカー社員のクレームが関係してるらしい……と、まことしやかに囁かれている。
 しかし佐藤や田中や鈴木は知っていた。なぜか時折お偉方の会議に呼ばれる平社員の山田が、喫煙所廃止に関する意見を求められて大暴れしたという事実を。
 なぜなら、リアルタイムで会議室の前を通りかかった鈴木が山田の声を聞いたからだ。
 が、当の本人は自分がこんなものを作らせたと思ってるふうもない。
「山田、煙草くれよ」
「いいのかよ、ヨメに怒られんぜ?」
「ヘーキだって」
 山田から一本もらうと、田中はじつに感慨深げに火を点けた。
「あー、マジ久しぶり」
 愛おしそうに一服する田中の隣で、鈴木が首を振りつつ肩を竦める。
「俺だったら耐えられませんね」
「禁煙もまぁ、やってやれないことはねぇけどなぁ」
「耐えられないのは禁煙以外もです」
 言った鈴木を三人が見た。
「だって田中さん、北斗の拳マニアのお義父さんに筋トレを強要されてるらしいじゃないスか? 俺死んでも無理っす」
「マジ? 田中」
「いや強要されてもやってねぇけど、なんでンなこと知ってんだ鈴木」
「俺の情報網を侮ってもらっちゃ困りますよ」
「てか、そんなトーチャンがよくお前との結婚許したよなぁ。全然ケンシロウじゃねぇのによォ?」
「娘には甘いからな」
 田中は短く言い、惜しむように煙を吐いて呟いた。
「つーか、やっぱやめらんねぇよな」
「戻ってこいよ田中」
 心から同情する山田の声。
「せっかくこんなイケてる喫煙所ができたってのによォ、使わねぇなんてありえねぇだろ」
「まぁでも、子どもが産まれんじゃしょうがねぇよなぁ田中」
「田中も佐藤みてぇにオモチャの煙草にしたらいんじゃね?」
「何度も言うけどオモチャじゃねぇし、せっかく田中が掴んだ幸せをぶっ壊すような悪魔の囁きはやめとけよ山田」
 な、と佐藤が山田の脳天に手のひらを載せ、その手を田中がチラリと見て、三人の先輩たちを鈴木の目が一巡した。
「まぁとにかく、結婚生活なんか嫁さんの尻に敷かれてやってりゃうまくいくんだからよ田中」
「ずいぶん知ったふうじゃねぇか佐藤、さすが女を取っ替え引っ替えしてるだけあるな」
 田中と佐藤が目を見交わしたとき、山田がブースの入口を見た。
「いたいた山田さぁん」
 山田以外の三人も一斉に入口を見た。
「午後のアポ、もう行かないと遅れちゃいますよーう!」
 甘ったれた声で呼びにきたのは、今年の春から山田の下に付いた後輩、本田だ。
 まるで乙女ゲームから抜け出してきたかのような華奢なイケメンで、敢えて表現するなら、ちょっぴり頼りなくちょっぴりツンデレの甘え上手な年下キャラ。耳にはピアスの穴。
 あー悪ィ悪ィもうそんな時間かぁ、と山田が煙草を消す。
 そのとき初めて三人の先輩に気づいたようなツラで、後輩本田は屈託のない笑顔を見せた。
「山田さん、もらっていきますねー」
「あぁどうぞ」
「熨斗つけてやるよ」
「いってらっしゃい」
 田中と佐藤と鈴木の返事はロクに聞こえてない様子で、本田は山田を風のように攫っていった。
「たしか佐藤さんの弟くんと同い年ですよね、彼」
「そうだっけ。だったら何だ?」
「あの山田さんへの懐きっぷり、弟くんと会わせたら面白そうっすよねぇ」
 鈴木の唇の端の笑みを見て先輩二人は目を交わし、代表して佐藤が言った。
「さすが鈴木、人間の負の部分を剥き出しにさせることしか頭にねぇな」
 
 
【END】

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