朝。目覚めた山田が部屋からダラダラ出ていくと、食卓で田中が煙草を吸っていた。
「──」
「よぉ」
 田中はすでにスーツ姿で、上着が椅子の背にかかっていた。
「──」
 対する山田は、ヨレヨレのTシャツにスウェット姿だ。
「おい、起きてっか?」
 テーブルの上にはマグカップが載っていて、コーヒー臭のする湯気を立てている。田中が来た時にいつも使ってるマグで、もとが山田のだったのか、それとも佐藤のか、もはやわからないシロモノだった。
 半眼のままタラタラ近寄った山田は、半眼のまま田中の煙草を一本抜いた。
「あー……。田中お前、なんでいんの?」
「は? なんでって、泊まっただろうが、ゆうべ」
「んなこた知ってる」
「だったら訊くなよ」
「じゃなくて、なんでまだ会社行ってねぇんだ?」
 言った山田の半分寝てるようなツラを、田中がしばし無言で眺めた。
「──なぁ山田?」
「あぁ?」
「起きてっか?」
「何だよ、起きてんだろ」
「起きてんならちゃんと見ろ、俺は佐藤じゃねぇぞ」
 今度は山田が、しばし無言で田中を眺めた。
 半開きの唇からフワフワと漂い出る煙。やがて山田は言った。
「え? 何? 間違ってねぇけど? 田中だろ?」
「佐藤はいっつも先に行ってたよな、会社。お前ら一緒に住んでんのに一緒に出社しねぇし」
「だって小学生の登下校じゃあるまいしよ、別に一緒に行く必要なくね?」
「必要なくても俺なら一緒に行く」
「──」
「佐藤はお前を置いてった、けど俺はヤツじゃねぇ。だからまだ会社に行ってねぇし、お前が準備すんのを待ってんだよ。わかったら早く顔洗ってこい」
「えー、でもまだ煙草吸ってんだけど」
「やることやってから改めて吸えよ」
「──」
「お前、いまのツラ、佐藤だったらそんなこと言わねぇって思ったろ」
 エスパーだ、エスパー。
 山田は内心で呟き、煙草を消して便所に向かった。
 用を足して顔を洗い、歯を磨いて戻ると、テーブルに山田のコーヒーが用意されていた。山田のマグカップだ。そばに煙草とライターと灰皿の三点セットも置いてある。
 佐藤だったらこんなこともしねぇ。
 山田は内心で呟き、立ったままマグを取り上げて啜った。
「ゆっくりしてる時間はねぇぞ、山田」
「わかってる」
「まぁ佐藤いなくても一応、遅刻しねぇ時間には起きてきたけどな」
「てか佐藤佐藤うるせぇよ田中」
「しょうがねぇだろ、大阪行ってもまだお前の部屋を占領してんだからよ。存在を意識せずにはいられねぇじゃん」
「あー、お前らライバルだったもんなぁ、一課で」
 山田は言って煙を吐いた。
 田中は答えず、立ち上がって山田に近づいた。
 顎を掴まれて無言のまま唇が触れるまでの間、山田は寝ボケたツラでぼんやり田中を見上げていた。
「ン、ちょ」
 すかさず隙間を割られて舌が絡むと同時に、腰を抱き寄せられる。眉を顰めて呻いた山田が、危なっかしい手つきで煙草を灰皿に置く。
 置いた途端さらに強く引き寄せられて、さらに深く唇を奪われる。
「ぃ……、おいって」
 角度を変える合間に山田が苦しげな息を吐いた。
「お前、ネクタイが──」
「あとで締め直す」
「シャツが皺になんぜ?」
「アイロンかけてくれよ」
 言ってなおも唇を重ねようとする同僚の頬を押し遣って、山田がボソッとツッコむ。
「俺がアイロンかけんのキライなの知ってんだろ」
 上目遣いに睨むツラを眺め、田中はクソ、と呟いて溜め息をついた。
「やっぱゆうべ、抱けばよかった」
「はぁ?」
「遠慮なんかするだけバカ見るってヤツだよな」
「何の話してんだ、てか着替えるから離せよ、時間ねぇってお前が言ったんだろ」
 田中はもう一度溜め息を吐くと、身体を離してネクタイを締め直した。
 自室に入った山田は、カーテンレールにかかってるシャツの中からなるべく皺っぽくないのを選び、着替えて部屋を出た。
 田中が山田を見てから壁の針金ハンガーに目を向けた。
「あのシャツは着ねぇのかよ?」
「あー? まぁ、今日はいいや」
「せっかくアイロンかかってんのに?」
「うるせぇなぁ俺の勝手だろ、俺が何着るかまで口出すとか、お前は俺の嫁か? あ?違うだろ? だいたい、お前が俺の嫁とかおかしい、俺はもっとこう、自分より小さくて可憐な嫁さんがほしいっつーの。あ、でも乳はデカくていいけどな。別に小さくたって文句は言わねぇけど、やっぱ欲を言うならデケェ方がいいじゃん? まぁ男としてフツーに」
「佐藤がアイロンかけたシャツ着んのがもったいねぇって素直に言えよ」
 
 
【END】

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