アパートの階段に到達したところで雨が降り出した。
「あっぶねぇ」
 思わず呟いた佐藤が階段を上がる間にも、雨足はみるみる強くなる。
 くだらない用事で実家に呼ばれて、せっかくの休日をフイにした。この上、雨にまで濡れちゃかなわない。
 危機一髪、と今度は心の中で呟き、玄関を開ける。
 天気のせいもあって、灯りのない部屋の中は暗い。が、開けっ放しの山田の部屋に、ベッドの端からはみ出た足が見えた。寝てるらしい。
 ──やることねぇのか、アイツは。
 ヒマ人っぷりに呆れながら冷蔵庫を開け、何もめぼしいものがなかったからそのまま閉めて煙草を咥えた。
 入口越しに見える足を眺めながら一本吸い終え、山田の部屋に向かう。
 山田は、だらしなく口を開けて眠りこけていた。
 佐藤はベッドに片膝で乗り上げて覆い被さり、ちょっと見下ろしたあと唇を塞いで、すぐに舌を入れた。
 最初から開いてるんだから、こじ開ける必要もない。
「……ん」
 山田が呻いて、払いのけるような仕種を見せる。が、無防備な唇を浅く貪ると少しずつ応え始めた。彷徨った指が佐藤のTシャツの袖を掴む。
 ゆっくり絡めて、吸って、噛んで、舐める。
 一瞬部屋が光り、雷が鳴った。
 一層強くなる雨音。
 部屋はますます暗くなる。
 山田の瞼が薄く開いたが、完全に寝ボケてるらしく全く焦点が合っていない。外の騒々しさに混じって、唾液の音が微かに響く。
 やけに大人しいじゃねぇか、起きてる時はあんなに嫌がるくせに。
 思った時、また雷が鳴った。山田が何事か呟いた。
 その声を耳にした瞬間、熱くなりかけていた股間とは対照的に頭の芯が冷えた。
 名前だった。
 ただし、佐藤、じゃない。
 しかし間違いなく知ってる名前だ。
「──山田」
 唇を離して呼んでみたが、山田は一向に覚醒する気配がない。寝顔を眺めているうちに気が変わって、起こすのはやめにした。
 佐藤は部屋を出て、薄暗い台所で煙草に火を点けた。
 聞かなきゃ良かった、と思った。
 
 
【END】

MENU