「おい、有楽町はどこだ」
 昼休み終了まであと10分ってタイミングで、日常茶飯事の声がフロアに響き渡った。
 有楽町ってのは地下鉄の路線名でも駅名でもなければ、地名でもない。有楽町ゆうらくちょう芥子からし、31歳。
 字面だけ見ると性別を誤解されがちだけど、もはやオッサン領域に片足突っ込んでる、れっきとした日本男子。株式会社東京迷都路めとろ、営業部営業三課の一員だ。
「あれ、えっと、さっきまでそこに……あ、有楽町さーん、丸ノ内さんが呼んでますよぉ!」
 丸ノ内ってのも、地下鉄の路線名でもなければ地名でもなく──そもそも地名なら表記は丸の内だし──こちらも同社同課に属する、有楽町より三期上の係長。丸ノ内まるのうち京緋きょうひ、34歳。
 とにかく仕事はできるけど態度がデカくて口が悪い。そして、態度がデカくて口が悪いけど仕事はできる男の外観をしっかり装備してる。つまりアグレッシブなデキる野郎を好む女には、とにかくモテる。
 缶コーヒーを手にチンタラ寄ってきた有楽町を、丸ノ内がイラついた目で見下ろした。態度がデカい上に身長もデカいから威圧感はダブルだ。
「有楽町お前、午後持ってく資料が誤字だらけじゃねぇか。チェック入れたファイル送っといたからすぐ直せ」
「えぇマジっすかぁ。もー、どうせちょっとした間違いですよね? ンなもん、丸ノ内さん以外誰も気づきませんって」
「──」
 有楽町の間延びした反応を、丸ノ内の無言の圧力が押し遣る。
 わかったわかりましたよ、と有楽町が観念したところに揶揄うような声が被さった。
「ほんっと面倒見いいですよねぇ、丸ノ内さん。たまに嫌になったりしません? 有楽町さんの飼育係」
 そう言ったのは、さっき丸ノ内に問われて有楽町を呼んだ半蔵門だった。
 ちなみに半蔵門ってのも、地下鉄の路線名でもなければ駅名でもない。有楽町の二期下の営業三課メンバーで、半蔵門はんぞうもんあおい、29歳。これも名前はアレだけど男子。先輩である有楽町とは対照的に、仕事も人間関係もソツなくこなす抜け目のないタイプだ。
「嫌になる以上に、コイツのミスで足を引っ張られたくねぇからな」
 眉間に皺を刻む丸ノ内の二の腕に、有楽町がドンと肩をぶつける。
「またぁ、もう。何年コンビ組んでんですかぁ、いい加減諦めてくださいよ。俺が事故ったら丸ノ内さんもダイヤが乱れる。ね、連帯責任連帯責任」
「断る。ていうかどこ行くんだ、お前」
「あ、ちょっと一服してきてからでもいっすか、修正」
「先に仕事をしろ」
 眉間に不機嫌を刻んだ丸ノ内が有楽町の襟首を掴んだところへ、人事部人事課の日比谷がやってきた。
「何やってんの丸ノ内、また有楽町イジメてんの? いい加減、好きな子に意地悪しちゃう小学生みたいな真似はやめなよ」
「イジメでも好きな子でもなければ、意地悪もしてない。何ひとつ当たってねぇ」
「そうやって真っ向から否定するとこがまた、何だかなぁ」
 日比谷は言い、ねぇ、と穏やかな笑顔を有楽町に向けた。
 ちなみに日比谷ってのも、地下鉄の路線名でもなければ駅名でもない。
 丸ノ内の同期で、入社以来ずっとつるんでる飲み仲間でもありながら、丸ノ内とは似ても似つかぬ人当たりの良さとソフトな物腰を誇る日比谷ひびや銀灰ぎんかい、34歳。
「そうそう有楽町、今日か明日の夜、メシ食いに行かない? こないだ深谷牛食いたいって言ってたよね」
「はぁ……え、もしかして?」
「うん、ウチの課の女子がねぇ、深谷牛出す焼き肉屋に連れてってもらったんだって、彼氏に。で、すっごい旨かったって言うからさ、行くなら奢ってやるよ」
「マジっすかぁ、行く行く! 俺、今日でも明日でもオッケーっす!」
「あぁそう? じゃあ今日行っちゃう?」
「行きます、もー俺、先輩のなすがままですよう。これだから日比谷さん大好き!」
 全開で両手投げキスを放った有楽町は、険しいツラを引っ提げて傍らに立つ丸ノ内をハッと見た。
「あっ丸ノ内さん、こないだの飲みんとき建て替えてもらったヤツ、あとで払いますからね俺ちゃんと! いま万札しかないんで、あとでコンビニとかで崩して」
「いい」
「え?」
「大した額じゃねぇ」
「え、でもあんとき結構……」
「次はお前が全額払え」
「えーっマジっすかぁ、日比谷さんなんか深谷牛奢ってくれんのにぃ!?」
「──」
 丸ノ内の顔面が殺気を孕んだとき、そばのデスクから見物していた半蔵門が呆れた口調を突っ込んできた。
「でも今言ってた、有楽町さんが債務不履行になった飲みは結局、丸ノ内さんの奢りになったんですよね?」
「いや債務じゃねぇし」
「でも丸ノ内さんの奢りですよね?」
「半蔵門お前はさぁ、なんでそうやって丸ノ内さんの肩持つわけ?」
「いや別に肩持つとかじゃないですよね、これ」
 後輩たちの会話の横で、日比谷が丸ノ内を見た。
「こないだの飲みって? 俺いなかったときだよな」
「まぁな」
「いつ? どこ行ったんだ?」
「大手町のモツ鍋屋」
「2人で行ったの?」
「だったら何だ?」
「なぁ丸ノ内。最近、俺を除け者にしてない?」
「別にしてねぇ。あんときお前は残業で来れねぇって言って、半蔵門も声かけたけどデートだとか言いやがったから、仕方なく有楽町と2人で行っただけだ」
「あぁ、あのときか……ふぅん? 仕方なく、ねぇ」
「何だ?」
「いや別に。俺だって行きたかったんだから延期してくれても良かったのになぁ」
「あの日もう脳ミソがモツ鍋になってたんだから待たねぇよ──って、おい有楽町! 一服してぇなら修正してから行けって言ってんだろうが!」
 しれっと離脱しかけた有楽町の襟首を、再び丸ノ内が引き戻す。
「えーっ、もー俺、ニコチン切れでエンジンかかんないっすよう」
「文字修正だけなんだから大した動力は必要ない、さっさとやれ」
「鬼、ドS、パワハラ、モラハラ、セクハラっ」
「俺がいつどんな性的いやがらせをしたんだ? お前に」
 丸ノ内が有楽町の腹を抱えて引き摺って行く図を、日比谷と半蔵門が生ぬるい眼差しで見送った。
「セクハラは俺にとっといて、丸ノ内」
 ゆるい笑顔とともに声を投げる日比谷の横で、椅子の背に凭れた半蔵門が脚を組み替えながら首を振った。
「あの2人見てると、あの言葉がどうしても浮かぶんですよねぇ俺」
「あの言葉?」
「えぇ、ほらあの──嫌よ嫌よも好きのうちってヤツ?」
 
 
【END】

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