糸井が仕込みをしている最中、カウンタの上でスマホが鳴り出した。が、持ち主は便所の中だ。
「あー電話出て糸井!」
 ドアの隙間から飛んで来た声を糸井は即座に断った。
「嫌だ」
「いいじゃん、俺とお前の仲だろ!」
「その意味がわかんねぇし」
「切れちゃうじゃん!」
 それ以上返事をするのが面倒になって放っておくと、ほどなく電話は鳴りやんだ。
「あー、もう。なんで出てくんねぇんだよ?」
 文句を垂れながら便所から戻ってきたのは旧友の池尾だ。コイツは開店前だろうが閉店後だろうがお構いなしにやって来るし、開店から閉店までコイツしかいなかったって日も決して珍しくはない。
「電話くらい出てくれたっていいじゃん」
 池尾は不満げなツラでスマホを手に取った。
「そんなに大事な電話だったのか?」
「さぁ知らない」
「──」
「あ、中島だった。じゃあいいや」
 池尾の仕事上の顧客であると同時にコイツもまた彼らの旧友である中島は、糸井的にはできる限り関わりたくない相手だ。だから池尾にかかってきた電話なんかハナから出る気はなかったが、マジで出なくて良かったと糸井は腹の底で嘆息した。
「てか、そうだ。なんかのときのためにパスコード教えとくから、なんかのときには適当に頼むな糸井」
「は? なんかのときって何だ、てか頼むって何をだ」
「そんなことわかってたらもっと具体的に言ってるっての。わかんねぇからなんかのときに適当にって言ってんじゃん?」
「──」
「スマホのパスコードも他のパスワードも銀行もクレカも、とにかく4桁のヤツはみんなおんなじ番号だから」
「はぁ? 銀行? クレカ?」
 糸井は素早く耳を塞いだ。
「やめろ、聞きたくない。お前の人生背負い込みたくなんかねぇ」
「え? 俺はお前の人生背負ってんのに?」
「……お前が俺の何を背負ってるって?」
「聞こえてんじゃん、てか何言ってんの? 背負ってんじゃん。ずーっと一緒にいてやってんだろ? 糸井お前、俺以外に友だちなんかできるアテなかったよな? 俺がいなかったら孤独な人生歩んできたよな? 独りに耐えかねて自殺とかしてたかもしんないよな? それをガキの頃から今までそばで支えてきたのに、それでも俺がお前の人生背負ってないっての?」
「──」
 まともに相手をするのが果てしなく面倒に感じられて糸井は無言で聞き流した。
 もはやコメントを返す気も起きず仕込み作業に戻った糸井を異論なしと曲解したものか、池尾はさらりと押し付けて寄越した。
「1101な」
 耳を素通りしかけた4桁はどこか神経に引っかかり、糸井はその数字を脳内に引き戻して反芻した。
「──」
 無言で目を遣ると、池尾は事もなげに頷いて言った。
「イトイだぜ? わかる? イトイ。お前の名前、語呂合わせできていいよなぁ。俺そのうち、クルマ買ったらナンバーもイトイにするつもりだぜ?」
「頼むからやめてくれ、マジで」
 
 
【END】

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