金曜の夜に降りはじめた雨が、土日の間も止んだりまた降ったり、ちょっと晴れたかと思えば性懲りもなく降ったりしながら迎えた月曜の朝。
 週が明けたからって止んでくれるどころか、これまでは序章だったとばかりに本降りの様相を呈する窓越しの風景を眺めて山田が盛大な溜め息を吐いた。
「あー会社いくの面倒くせー、雨が降ったら休みでよくねぇか会社なんか」
「南の島の学校かよ」
 言いながら部屋から出てきた佐藤が、山田を見るなり無言で首を振った。
 完璧にパリッと仕上がってる佐藤とは対照的に、シャツはボタンがふたつ開いたまま、ネクタイはテーラーのメジャーのごとくダラリと首に引っかかったまま。
「だって絶対ェ濡れんじゃん裾とかさぁ。つーか、こんだけ降ってたら膝下が別カラーのツートンだぜ?」
「お前は毎度濡れすぎなんだよ、どんな歩き方したら膝まで濡れるんだ」
「いや濡れねぇほうが人間業じゃねぇだろ。はー、オレもうナメクジになってもいいから会社行きたくねー」
「お前がナメクジになったら容器に閉じ込めてやるよ。自力じゃどこにも行けねぇし誰にも合わせねぇ、俺にも好都合だな」
「──」
 山田が渋々支度を終えると、2人はようやく部屋を出た。
 途端に、何だかやたらキマってる全身ダークグレーのレインスーツ姿のボウズと出くわした。
「あ、おはようございます」
 こちらの2人はそれぞれ挨拶を返したが、少なくとも山田のほうはこんな思いで上の空だった。
 巨大ナメクジかと思ったぜ──
「休み?」
「仕事ですが」
「その格好で出勤すんの?」
「このまま仕事はしませんよ?」
「まぁ……だろうけど」
「それで電車乗ったら周りのヤツら嫌がんねぇ?」
 これは佐藤。
「大丈夫です、濡れたものは駅で脱ぎますから」
「面倒くさくねぇか?」
「服のどこかが濡れてると集中できないんで、完全防水の出勤手段をいろいろ試してみてるんです。朝イチからきっちり仕事して、定時までに終わらせて帰りたいですからね」
「さすが、女装インスタのために生活雑貨までこだわる神経質なヤツは言うことが違うぜ」
「褒め言葉と受け取っておきますよ」
 佐藤の目が同居人をチラ見した。
「山田お前、爪の垢でももらって煎じて飲んだらいいんじゃねぇか?」
「えー、煎じるとか面倒くせぇ、そのまま食うだけじゃいけねぇの?」
「俺の爪には垢なんかないんで、ヤスリで削った爪の粉でもいいですかね」
「さすが女装インスタの……なんかとにかく、そこらのリーマンとは違うぜ」
「言っとくけど山田、爪の垢なら俺もねぇ」
「じゃあ爪の垢がどうとか言うの最初からやめてくんねぇ?」
 リーマン3人が爪の垢について議論を繰り広げながらマンションのエントランスに到達すると、うちひとり──目つきの悪いボウズがサッと頭にフードを被った。
「え、フードまで被んのかよ? どうせボウズなのに……!?」
「どうせってのは何ですかね」
「いや──」
 毛もねぇのに何をガードすんだよ?
 そんな問いを口にしていいものかどうか、山田が柄にもなく迷ったときだ。
 いまや脳天からダークグレーのナメクジと化した隣人が、脇に挟んでいたビジネスバッグに手を忍ばせるや折り畳み傘を──まるで、刃物を抜き取る任侠モノみたいな手捌きで──スルリと取り出した。
「傘かフードかどっちかでよくねぇか……!?」
「フードだけじゃ顔が濡れますから」
「じゃあ傘だけでいいじゃんっ?」
「俺がフードと傘を併用したら山田さんに何か不都合でもあるんですか?」
 開いた傘とフードの下から、鋭利な眼差しが山田を掬い上げる。
「いや──」
「余計な口出しすんなよ山田、駅に着く頃にゃ下半身がツートンカラーになってる野郎が人に四の五の言える立場か?」
「何ですか、下半身がツートンカラーって?」
 そこで佐藤が雨天の山田の生態について説明しつつ、リーマンたちは降りしきる雨の中へと出陣した。
 が、歩き出してほどなく、山田が隣に並んだナメクジのほうを何気なくチラ見して声を上げた。
「──お花畑!?」
「うるせぇな山田、今度は何だよ」
「だってお花畑だぜ!?」
「だから何がだよ」
 ささくれ立つやり取りを聞いて、グレーのボウズが目を上げた。
「あぁ、これのことですか?」
 その視線を追って佐藤が覗き込むと、何の変哲もない黒い傘だとばかり思っていたソイツの内側には一面、色鮮やかな薔薇が咲き乱れていた。
「日常生活用の傘が壊れちまいましてね。仕方がないから撮影用の中で一番大人しいヤツを持ってきたんですが、そんなに目につきますか?」
「いや……まぁ傘より目線が高けりゃ、そうそう見えねぇとは思うけど」
「俺の目線が傘より低いって暗に言ってんのか佐藤?」
「だったら何だ? エリカだって傘より低いんだから、そこ怒んのは失礼じゃねぇか?」
「そうですよ山田さん」
 薔薇背負ったナメクジに真顔で言われたかねぇ──山田がそう投げ返す寸前、何かを思い出したように「薔薇と言えば」とエリカが言った。
「今日、誕生日なんですけどね、俺。インスタのフォロワーさん方から送られてきたものが沢山あるんで、もし今夜お暇だったら飲みにきませんか?」
「いいけど、今日誕生日なのかよエリカ」
「おめでとう」
「ありがとうございます。もうそんなに誕生日が嬉しい歳でもないですがね」
「お前ソレ、俺らに喧嘩売ってんの? てかいただきものって何、酒?」
「アルコールも何本かありますけど、ツマミや甘いものも結構あったりして消費しきれないんですよ」
「そんな大量にどっから贈られてくんだよ、まさか個人情報さらしてねぇよな」
「さらしません、アマゾンの匿名ほしい物リストです」
「へぇ……」
「てか、さっき薔薇と言えばっつってた気がするけど、薔薇も送られてきてんの?」
「えぇ、真っ赤なヤツ24本とかですね」
 薔薇24本の意味をあとでググってみるか──同居リーマンの片方は思った。
 24時間想ってるとか、もうストーカーだよな──同居リーマンの片方は思った。
「エリカお前、気をつけろよ? 家を突き止められて部屋に侵入されたりしねぇように」
「ご心配には及びません。万一のことがあっても、一応うちも実家並みのセキュリティ対策してますし」
 実家のセキュリティがどんなものかは知らないが、家業からして推して知るべしだ。
 あのファンシィなインスタルームのどこに、物騒な仕掛けが施されてるというのか。同居リーマン2人はそれぞれ脳内に隣家の室内を描いたが、見当もつかなかった。
 そうこうするうち駅に着いた頃、山田の下半身は例に漏れずツートンカラーになっていて、対する完全防備のボウズがスルリとフードを脱いだ。しかし形状に大した変化はない。
 改札の内側で隣人と別れて階段に向かう途中、山田が言った。
「そういやアイツの爪の垢がどうたら言ってたけどよォ佐藤、俺があんな神経質だったらどうなんだよ?」
「まぁ、そんなのお前じゃねぇな」
「てか帰りにさぁ、なんか誕プレ的なモン買ってかねぇ? フォロワーからの貢ぎ物つったらアイツが命を削った女装結果の賜物じゃねぇか? なのにハイエナみてぇにご相伴にあずかりにいくだけってのは隣人の矜持に反するよな」
「隣人の矜持はわかんねぇけど、普通に買って行こうぜ。何にするよ?」
「何がいっかなぁ……あ、ほかのヤツらにも訊いてみよーぜ! そんで、ほかのヤツらも呼んじまおうぜ!」
「まず一応、当人に確認してからな」
「馬っ鹿お前、そこはサプライズパーティだろ!? みんなでデッカい箱もって押しかけるんだよ、三角の帽子被って迷惑も顧みずな! あーなんか急にワクワクしてきた、早く会社いこーぜ佐藤!」
 下半身がツートンカラーのスーツで軽やかに階段を降りていく後ろ姿を眺めて、佐藤は思った。
 三角帽子はともかく、あんなに出勤を面倒くさがってた山田がこんなにウキウキ出社するなら、平日は毎日が隣人の誕生日でもいい。
 
 
【END】

※友人の誕プレとして書いたものです。Happy Birthday!

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