「そーいやイチさん、もう一年くらいなるっけ? ここ」
 うまい棒めんたい味の大袋から一本抜きながら佐藤弟が言った。
 バーチャル高原から戻った山田がエビマヨネーズ味を貪り食いながら頷いた。
「あーそうだなぁ、そろそろそんくらいかなぁ」
 去年、ついにボロアパートが取り壊しとなり、山田は慣れ親しんだ棲み家にサヨナラを告げたのだ。
「クソ、あのアパート……死ぬまで住んでやろうと思ってたのによォ。よくあんじゃん、超ボロアパートに住んでる年金暮らしのジジイが奇行に走ってニュースになったりするやつ?」
「奇行に走る気だったのか?」
 田中が訊き返した。
「安心しろ。ジジイになるまでもなく、お前はずっと奇行に走り続けてる」
 佐藤もそう言って慰める。
 山田の現在の巣は、一帯の土地を持つ地主が自宅の敷地の一角に建てたアパートの一室だった。上下に一戸ずつの、こぢんまりした建屋の二階だ。
 大家はやもめの親父さんと若夫婦の二世帯住宅、夫婦には幼児がひとり。どうやらダンナは婿養子らしい。
「ま、何にしても、やっとイチさんちから兄貴を駆除できて良かったぜ」
 引っ越し前後からさんざん吐露してきた安堵を、弟が今日もしみじみと漏らした。
「ヒトを害虫みてぇに言うんじゃねぇよ」
「害虫そのものだろ」
 年食ってますます似てきた目を兄弟が交わす横で田中が言った。
「あんときのさぁ、佐藤を駆除した原因の? なんつったっけホラ、あの女」
「だから駆除とか言うな」
「ユイ? ユミ? クミ?」
「ナルミだろ」
 佐藤が投げ出すように言い、山田の煙草を抜いて咥えた。
「しつけぇからちょっと遊んだだけじゃねぇか」
「遊ぶのはお前の勝手だけどな佐藤、俺のアパートに連れ込むとかありえねぇだろ」
 俺の、を強調して吐き捨てた山田が、うまい棒の最後のひとかけを口に放り込んでバリバリと噛み砕いた。
 ある夜、帰宅してドアを開けた山田の目に、押し倒さんばかりに佐藤の唇を奪っている見知らぬ女の姿が飛び込んできた。
 山田は無言でドアを閉め、その場を去った。
「連れ込んでねぇし、勝手に押しかけてきただけだし。何にしても、お前が姿くらまして1Kの引っ越し先なんか決めて戻りやがる理由にはなんねぇだろうが」
 そんな顛末で袂を分かった佐藤は、ここから徒歩十分のマンションに住んでいる。
「気を遣ったんじゃねぇか、お前が心置きなくどっかのチャンネーと末長い幸せを築けるようにな? てか、なんで引っ越してまでお前と同居し続けなきゃなんねーんだよ? むしろ感謝してほしいぐらいだぜ、ひとりで2DKに引っ越して連れ込み放題同棲し放題の気ままな独り暮らしにしてやったんじゃねぇか」
「だから連れ込んでねぇし、だったらしばらく俺んち連泊してみろよ、来ねぇから女なんか」
「行かねーし、ぜってー行かねーし!」
「お前ら、痴話喧嘩にしか聞こえねぇよ」
「やめろよ田中っち! イチさんと痴話喧嘩なんかしていいのは俺だけだよ!?」
「弟、お前の痴話喧嘩は彼女とやれ」
 佐藤弟には三年付き合ってる彼女がいる。
「オンナといえばさぁ」
 田中が山田を見た。
「一階のオネーチャンいなくなったのか? なんか最近、シャッター閉まりっぱなしじゃねぇ?」
「あー先月かな、引っ越してった」
「ふーん。あのコ、目の保養にだけはなってたのになぁ」
「あぁ、向こうが二階だったら階段のぼってるときに下から覗けたよなぁ」
「パンツはピンクだぜ」
 言った山田を三人が見た。
「覗いたんじゃねぇよ、干してあったんだよ堂々と、恥じらいもなく」
「お前に恥じらいを説かれたくねぇと思うぜ、いくらあのネーチャンでも」
「てか田中お前、妻子持ちが若いチャンネーのパンツ覗こうとか考えんじゃねーよ」
「それ言ったの俺じゃねぇよ山田、てかサイはいてもシはまだいねぇ」
 去年、山田と佐藤の引っ越しと前後して、田中は一年ほど付き合った彼女とゴールインした。
 同じ会社の、何期か下の秘書課だ。名前はユリア。正真正銘カタカナでユリアだ。北斗の拳マニアの親父さんが、娘をそれ以外の名前にするなら死んでやると騒いだらしい。
 そのユリアが三十歳までに子供を産みたい願望に取り憑かれてて、強引に結婚に漕ぎつけた……というのは田中の言だが、問題はそんなことじゃなく、引っ越し組のふたりは出費が嵩んで大ブーイングだった。
 で、ともかくユリアは数カ月後には駆け込みの二十代出産を控えていて、この週末は実家に行って留守とのことで、昨夜は佐藤と三人で呑んだくれた。弟は彼女とのデート、いまこの場にもいない鈴木は理由すら不明の不参加だった。
「まだいねぇっつっても、もーすぐ産まれんじゃねぇか」
「いまだに信じらんねぇぜ、田中が親父になるんだもんなぁ」
「俺も叔父さんかぁ」
「お前は俺の弟じゃねぇだろ」
「てかさぁ」
 ふいに弟が目を輝かせた。
「イチさん、じゃあ空いてんの? この下」
「いや、もう決まってるって大家が言ってたぜ」
「えー、なぁんだぁ」
「今度はどんな住人だよ?」
「さぁなぁ」
「あーあ。イチさんの下とか隣とかに住めるなら俺もう実家出るのになぁ」
 テーブルに頬杖をついて弟が溜息を吐く。
「隣なら空いてるぜ?」
「空間しかねぇじゃん隣」
「お前は一生実家暮らしじゃねぇのか」
「結婚しろよ弟、そしたら嫌でも出る羽目になるから」
「そっか! イチさん結婚してくれる?」
「あーヒマだなぁ」
 山田が明後日の方向を見て大声を出した。
 しばし静寂。
「さ。やることねぇし、みんなでバーチャル高原に出発するか?」
「それ昼寝だよな山田」
「寝るぐれェならメシでも食いに行こうぜ」
 
 
【END】

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