入社式でその顔を見つけた時、心臓が止まるような衝撃を受けた。
 記憶にあるよりも大人びて、新入社員らしい初々しさでスーツなんか着てる。だけど基本的には昔と何ひとつ変わらない。
 田中が立ち尽くしていると、やがて向こうがこちらに気付いた。
 初めの数秒は怪訝そうに。
 でもすぐに戸惑うような表情に変化するのを見て、その事実にまた動揺しながら田中は思わず呟いた。
「──山田」
「チョー久しぶりじゃん!」
 瞬きする間に戸惑いを掻き消した山田が、以前には見なかったような人懐こい笑顔を浮かべて近づいてきた。
「マジか。こんなとこで会うとはなぁ……」
 動揺を隠して応じる自分のツラは、ぎこちなくないだろうか?
「あ、コレ、佐藤」
 何を喋っていいのかわからず、隣りに立つ友人を示した。
「大学の同級生」
「どうも」
 佐藤が短く言った。別に無愛想ではないが、普段から表情や抑揚が少ない。
「こっちは山田。高校がおんなじで」
「高校おんなじでも、アタマの出来は全然違うけどなぁ」
 屈託のない物言いで、山田が佐藤に笑いかけた。
 
 
 高校三年の夏の終わりだ。
 下校途中、声をかけてきたのは同じ学校の生徒だった。
 駅までの近道で通り抜けに使う公園。通路の脇に配されたベンチに、彼は何をするでもなくダラリと座っていた。
「お前、田中?」
 田中はその顔を知っていた。校内の有名人だ。
 山田一太郎。
 特別派手なことをやらかすでもないし、外見も極めて平凡。にも関わらず何故かやたらと人目を惹く存在で、田中の周りにも「どこがどうとは言えないけど好き」という女子が数多く存在したし、それでいて男子に嫌われるでもなく、むしろ好意的に見てるヤツが多かった。
 田中が初めて山田を見たのは──間近で姿を目にしたのは、昼休みにラーメン屋の出前を取って厳重注意を受けている脇を通りかかった時だ。二年生の秋だった。
 あれが山田だよ、と一緒にいた友人が耳打ちした。
 が、確かに何がどうというわけでもなかったし、同じクラスになることもなく、これといって接触を持つような相手じゃなかった。
 だから彼が自分の名前を知っていたことに、田中は軽い驚きを覚えた。
「座れよ」
 黙っていると、山田はそう言って隣の空きスペースに顔を傾げてみせた。
「用件は?」
 田中は従わず、立ったまま訊き返した。
「ミワのこと」
「ああ……やっぱ、それか」
「知っててやったってことだよな?」
 ミワというのは山田の彼女だった。
 おそらく結構な競争率を勝ち抜いてその地位を手に入れたんだろうに、全く馬鹿げてる。田中が誘ったら、ミワはいとも簡単に脱いだ。
「ま、いいけど──」
 腹の底からどうでもよさげなツラで山田は息を吐いた。
「男いんのに他のヤツと寝る女はいらねぇし、お前にやるよ」
 田中は答えなかった。ただ、その放り出すような興味のなさが神経に引っかかった。
「吸うか?」
 差し出された箱から、田中は無言で一本抜いた。
 自分のポケットからライターを出して火を点けると、山田が小さく笑った。
「お前、よくわかんねぇヤツだなぁ」
「何が?」
「噂どおりの真面目くんかと思ってたのに、人の女は盗るし、煙草は吸うし」
「俺のこと知ってんのか?」
「すっげぇ頭いいんだろ? お前」
 山田はまた少し笑い、続けた。
「なんでミワかなぁ。超バカじゃんアイツ? 俺に言われたかねぇだろうけどさぁ」
「じゃあさ、お前はあの女のどこがよくて付き合ってんだ?」
 山田の出来はどうあれ、ミワが超バカだってのは田中も否定しない。が、見た目だけならそこそこのランクだし、愛嬌があってエロくてセックス大好きという、男にとっては好都合な条件が揃った女だ。
 ただ、そんなことで山田が選ぶとは思えなかった──と言っても、大して知ってるわけでもないから、単なるイメージに過ぎなかったが──だから、何か余程の魅力があるんじゃないか。そう思ってはみたものの、一度寝たくらいでは何も嗅ぎ取れなかった。
 果たして、山田は言った。
「別に。なんかすげぇ勢いだったから。断る理由もなかったし」
「それだけか……?」
「だったら何だ?」
「いや──」
 流れていく煙を目で追いながら田中は言った。
「俺も別に、ミワに興味あったわけじゃねぇよ」
 山田が無言で見上げてくる。
「お前が抱いた女、俺も抱いてみたかっただけ」
「……は?」
「そんだけだから、やるって言われても俺もいらねぇんだ、ミワ」
「お前、マジわけわかんねぇな。なんでそんなことすんの?」
 怒る素振りもなく山田は首を傾げた。
「なんでって言うか、そうだな……ちょっとはわかるかなぁと思って」
「何が?」
「俺の疑問の答えが」
「──」
 しばらく怪訝そうに田中を見返していた目が、やがてすうっと逸れていった。
「何が知りてぇの?」
「え?」
 訊き返すと同時に、山田が突然立ち上がった。
「ま、いいや。とにかくなんかスッキリした。じゃあな」
 言葉どおりのスッキリしたツラで山田は言い、呆気にとられる田中を置いて駅の方向へと歩き去った。
 その後ろ姿が消えるまで、田中は立ち尽くしたまま見送っていた。
 何が知りてぇの? か……。
 疑問の答え云々と山田には言ったものの、その疑問とやらが何なのかが自分でもわからない。
 強いて言うなら、あの特徴のないヤツがどうしてあんなにも人を惹きつけるのか。それを知りたい──そんなところだろうか?
 
 
 まだ時間に余裕があるのを確かめて、佐藤と山田と三人で喫煙所に向かった。
 揃って煙草を吸う間、いつの間にか山田を眺めている自分に気づいては目を逸らすということを、田中は何度も繰り返した。
 目の前では山田と佐藤が会話していた。
「なんかお前ら二人、タイプ似てるよな」
「そうか?」
「うん。背格好とかもそうだけどさ、黙っててもオンナが寄ってきそうな感じとか?」
「きそう、じゃなくて来るんだよ」
 煙を吐いて真顔で答える佐藤は、それがあながち冗談でもないだけに、相手によっては反感を持たれる。
 が、山田は一向に気にするふうもなく、
「んじゃ、寄ってきたのを俺にも分けろよ今度」
 などと呑気に笑い、
「なぁ、大学ん時の田中ってどうだった?」
 と話題を変えた。
 佐藤がこっちを見て、また山田に目を戻した。
「どうって……普通?」
「ふーん」
「ふーんって、その答えで納得すんのかよ山田」
 田中は笑いながら二本目の煙草を取り出し、逆に訊いた。
「お前はどうだったんだよ? 大学んときは」
「──あ、俺?」
 一瞬、山田は虚を衝かれたようなツラで押し黙り、でもすぐに笑って佐藤の物言いを真似た。
「うん……普通?」
 その様子が引っかかりはしたものの、田中も軽く笑って返した。
「普通か。──彼女とかは?」
「今はいねぇよ。田中は?」
「まぁ、いないこともないけど」
 朝まで一緒だった一歳下の彼女が脳裏に浮かんだ。
 この半年、順調に付き合ってきた。が、今朝アパートを出る時にも当たり前に満たされていたはずの気持ちが、何故だか急に薄れているのを感じて田中は焦った。
 まさか──バカな。
 とにかく落ち着こうと深く煙を吸い、ゆっくり吐き出す。
 山田が、今度は佐藤に訊いていた。
「佐藤は?」
「いねぇよ」
「ふーん」
 矛先が逸れたのをこれ幸いと、田中は自分にネタが戻って来ないよう口を出した。
「佐藤は昨日、別れたてのホヤホヤだもんな」
「へぇ、おめでとう」
 言った山田に佐藤が眉を寄せた。
「何がめでてぇんだ?」
「なんか、ホヤホヤってめでてぇ感じするじゃん?」
「お前の発想がめでてぇよ」
「なんで別れたんだ?」
「初対面の相手によくそんなこと訊くな」
 佐藤が煙草を咥えた唇の端で呆れたように笑った。
「いいじゃん別に。だって田中のオトモダチだろ?」
「山田お前、なんで俺のオトモダチだったらいいんだよ?」
 田中が言うと山田は肩を竦めた。
「だって、どうせ田中のオトモダチだろ?」
「全然答えになってねぇし、どうせとか言って失礼が増えてるし」
「男が細けぇこと気にすんなよ。てか、じゃあ佐藤? 今度一緒に恋を求める会合でも開こうぜ」
「それ、ただの合コンじゃねぇか?」
「平たく言えばそうかもな」
 田中は煙草を灰皿に捨てて、二人の会話に割り込んだ。
「俺も混ぜろよ」
 山田が煙を吐きながら、はぁ? と気の抜けた声を上げた。
「女いんだろ? お前」
「多分もうすぐいなくなる」
 田中の答えに、咥え煙草の佐藤がこっちを見た。
「リエ、どうしたんだよ」
「別に」
「別れんの?」
「かもしんねぇ」
「何だよ急に。ゆうべも仲良くやってたんじゃねぇのかよ。なんかあったのか」
「いや──何にもねぇけど、なんかそんな気がする」
 ていうかしてきた、急に。
 ほんの三十分前までは露ほども考えてなかったエンディングを、田中の意識は既にカウントしはじめていた。
 その原因を求めて山田のツラを眺めるが、これといって明確な答えは得られない。
 一体、何なんだこの気分は。
「そーだ。田中、夜ヒマ?」
 二人の会話を聞いてたんだかどうだか、山田がのんきな声で訊いた。
「今日?」
「うん、今日の夜」
 夜は入社祝いだね──今朝聞いたリエの声が頭を過ぎる。一瞬だけ迷った。逆に言えば、一瞬しか迷わなかった。
「ヒマだけど」
「あ、マジ? 飲み行かねぇ? 佐藤も。ヒマ? 佐藤」
「夜までに新しい女ができなかったらな」
「できねぇって、心配しなくても」
 
 
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