「帰ろーと思うんだよなー、いー加減さー」
 リビングのフカフカのソファでダラダラしながら山田が言うと、キッチンカウンターの向こうで洗い物をしていた小島が顔を上げた。
「帰るって、どこに?」
「自分ちに決まってんだろバカ」
「ここを自分ちだと思ってもらっても構わないんですけど」
「こんな高級マンションが自分ちのワケねぇだろバカ」
「いつですか?」
「や、いつっつーか、まぁ明日とか? 金曜でキリもいいし」
 シンクで手を洗う気配がして水音が止んだ。
「お前だってそうやって余分な皿洗いとかしなきゃなんねーだろ、俺がいるとさぁ」
「食器を洗うぐらい大した負担じゃありませんよ」
「お前、いい嫁さんになるな」
「そう思うなら俺をもらってください」
「残念ながら俺が嫁にもらうのは女だけだから」
「いまどきそんな常識に囚われてるなんてナンセンスですよ、山田さん」
「性別問わずヤリまくるお前と一緒にすんな、この非常識野郎が」
「あぁそうですね、俺は男は山田さん一人しか知りませんから。経験豊富な山田さんと一緒にしちゃ失礼ですよね」
「テメェ、俺が男をいっぱい知ってるような言い方すんじゃねぇよ」
 小島はそれには答えず、カウンターを回って近づいてきた。
 ダラけている山田の隣に割り込むように座り、やたら真摯な視線をまっすぐ据えてくる。
「山田さん」
「何だよ?」
「このまま、ここに住みませんか」
「住まねぇよバカ」
「真面目に言ってんですけど俺」
 山田が肘掛けで頬杖をついたまま、チラリと小島に目を投げた。
「お前がマジメに言うのはお前の勝手であって、俺まで付き合う義理はねぇ」
「ひどいなぁ、山田さんは」
「ヒドイとかお前に言われる義理もねぇ」
「いつまであのことを引きずってるんですか?」
「あのことって何だよ」
「まだこだわってるんでしょう? 俺たちのはじめての夜に」
「何その甘い思い出みたいな言い方? てか墓に入るまでこだわって引きずるに決まってんだろ」
「俺との甘い思い出を墓まで持っていってくれるんですね」
「だから甘くねぇっつってんだろ、てかナニ乙女みてぇなコト言ってんの? 言っとくけどなぁ、あんとき俺がどんだけ苦労したと思ってんだ? すげぇ大変だったんだからな、お前が結んでったネクタイ取んの!」
 山田が鬱陶しげに脚を上げて小島を蹴った。
 すみませんねぇ、と小島は笑って足首を受けとめ、山田のブーたれたツラを眺めて目を細めた。
「でも俺はガッカリしたんですよ? 退屈してるだろうから遊んであげようと思って仕事中にわざわざ寄ったら、すっかり自由の身でコンビニなんか行ってるし」
「ハラ減ってコンビニ行って何が悪ィんだよ」
「悪くはないですけど。期待に膨らんでた俺の胸が一気に萎みましたね」
「膨らんでたのは股間じゃねぇのかよ」
「否定はしません。山田さんは自分の魅力をよくわかってますね」
「魅力もクソも、そんなヘンタイはお前ぐらいだっつーの」
「そういえばあの朝、佐藤さんから電話があったって言いましたっけ?」
「──」
 山田が無言で小島を見た。
「アパート出て駅まで歩いてる途中で、かかってきたんですよ。あの時、山田さんの携帯を借りてったじゃないですか、俺」
「借りてったんじゃねーだろ、奪ったんだろオマエが。で、どうしたんだよ」
「どうって何が?」
「何がじゃねぇよ、だから電話かかってきてどーしたんだよ」
 今度は小島がちょっと黙り、山田を見た。試すような、何かを探るような目だった。
「佐藤さん、出張から帰ってきて、何も言ってませんでした?」
「は? 別に……たぶん?」
「あぁそうですか」
「そうですかじゃねぇよ、お前まさかその電話出て余計なこととか言ったんじゃねぇだろうなぁ?」
「余計なことって何ですか?」
「だから俺が……」
「山田さんが?」
 訊き返す小島の片手が、さりげなく山田の膝にかかる。
「オマエと……」
「はい、俺と?」
 もう一方の手をソファの背と山田の間に差し込みながら、小島が笑顔で応じる。
「だから……アイツの部屋で」
「佐藤さんの部屋で?」
「ッ、てか何言わせてぇんだよっ、つーか何お前、手ェ突っ込んでんだっ」
「だって、ちゃんと説明してくれないとわからないじゃないですか」
「はぁ? 何の説明だよ」
「だから。佐藤さんに言っちゃいけない余計なことって何ですか? 佐藤さんの部屋で山田さんが俺と、何をどうしてどうなったんでしたっけ?」
「作文かよ! てかだからソコ、触んじゃ……ねっ」
 Tシャツに潜った指が乳首を掠めた途端、山田が小さく揺れて語尾を震わせた。
「佐藤さんのベッドで山田さんの手首を縛って、すっごくエロいセックスしたんですよね? 俺と」
「人に訊いといて自分でまとめんじゃねぇ、だからそーいう余計なことをだな、電話でチクッたりしてねぇだろーなぁっつってんの!」
「佐藤さんに知られたらそんなに困るんですか?」
「誰に知られても困るだろーが、んなも……ン、てかちょ、何してっ」
 気づけば山田はソファの上でドサクサまぎれにのしかかられていた。
 そしてドサクサまぎれに首筋に喰らいつかれ、ドサクサまぎれに股間を掴まれていた。
「ッ、あ……」
 皮膚に舌を這わされながら緩く刺激を送られるたび、山田の腰が浅く跳ねる。
「出張から帰ってきた日、佐藤さん、山田さんを抱きました?」
「ん──は? 知らね……よっ」
「あの夜、佐藤さんは優しかったですか? それとも意地悪だった?」
 山田の目が何かを思い出すように宙を彷徨った。
 その目を小島が覗き込み、山田がハッとする。
「つーか佐藤と寝たりなんかしてねぇっつーのっ、てかお前っ、こんなとこで……コラ、皿洗えよ皿!」
「片づけなんかあとでいいですよ」
 ウエストから、ごく当たり前のように布地が剝がされていく。サイズの合わない借り物のスウェットと外回りの最中に百均で買ってきた安物のパンツは、実に頼りなく、あっさりと本体にサヨナラを告げて去った。
「──こんなにすっかり、俺の匂いが染みついてるっていうのに」
 剥き出しになった腿の内側に唇を滑らせながら小島が囁く。
 そりゃそうだろう。小島んちの風呂に入り、小島の服を借りて小島のソファでゴロゴロし、小島のベッドで小島に抱かれて寝ていれば、そりゃ匂いも染みつくってモンだ。
 山田は脚の付け根を噛まれて藻掻きながら、ふと昼間のことを思い出した。
 定食屋を出たところで鈴木が肩のあたりに顔を寄せてきて、ふーんと呟いたのだ。
 何だよ? と訊いたら鈴木は「何でもないっス」と離れて歩き出したが、もしかしてアレは嗅いでたんだろうか?
「なのに帰るなんて言うんですもんね、あのボロアパートに」
「ボロアパートで悪かったな──って、あ、そこっ、やめろっ……貧乏臭漂う俺のカラダに触るんじゃねぇ、このカネ持ちがっ」
「山田さんは貧乏臭なんか漂ってません。ちゃんと俺の匂いがします」
 ここも、と言って小島が舌で股間のモノを辿る。山田が息を呑み、吐き、震えて小島の髪を探った。
「帰ってもいいですよ。でもその代わり」
 髪を掴む山田の指を優しい手つきで絡めとり、その指先を咥えて小島が囁いた。
「今夜は、あの夜みたいに縛っていいですか」
 
 
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