「山田さん、アパートに帰ってないんですか?」
 定食屋での昼メシ中、鈴木がそんなことを言い出した。
 山田は箸をとめて正面の後輩を見返した。
「は?」
「昨日も一昨日も夜行ったらいなかったんだけどって、佐藤さんの弟くんからメールが来たんですよ、さっき」
「はぁ?」
 箸先に生姜焼き定食の肉をブラつかせたまま、山田は顔を顰めた。
「弟だぁ? 何の用だよ?」
「知りません、そんなこと」
「なんで鈴木にチクッてくんだよ、んなの。オマエら知らない間にどーいう仲?」
「別にどういう仲でもないですけど、まぁ無難だと思ったんじゃないですか? 訊ねる相手として」
「意味がわかんねぇんだけど」
「わからなくてもいいですよ」
 鈴木は淡々と味噌汁を啜った。
「で、アパートに帰ってないんスか?」
「帰んなかったらお前、どこで寝んだよ俺は。ついに段ボールハウスか?」
「朝、小島と一緒に出勤してますよね山田さん。ここ二、三日」
「別に同伴出勤してるわけじゃねぇ、たまたま続けて駅で会ってよォ」
「少なくとも昨日の朝は、電車の中で一緒にいるのを見ましたよ?」
 山田は無言でモグモグしながらスルーした。
「山田さんちからだと反対方向だと思うんですけど、まぁどこから出勤しようが山田さんの勝手ですし。でも黙ってた方がよければ、弟くんには適当に言っておきますよ?」
「別に隠すようなことじゃねーけど」
「さっき隠そうとしたじゃないスか」
「そりゃなんかお前、条件反射ってヤツ?」
「日頃の行いが知れますね」
 山田は無言でモグモグしながら窓に目を遣った。
 油がこびりついて黄ばんだガラスの向こうを、スーツ姿のリーマンが二人並んで通り過ぎて行く。後ろ姿が田中と佐藤に似てると感じたが、佐藤は東京にいない。
「お前に訊くことがどう無難なのか知らねぇけどさぁ鈴木?」
 付け合わせのもやし炒めを口にゴッソリ押し込み、山田はモグモグしながら言った。
「弟が俺に訊かずにお前に訊いたってことはさぁ、お前だって俺に訊かねぇ方が良かったんじゃねぇの?」
「だって山田さん本人に訊いた方が早いっすよね」
「お前は何だ、わざわざ俺を外して訊いてきた弟の意を汲んでやるとかそういう配慮みてぇなモンはだな」
「あのね山田さん。それ山田さん本人に言われることじゃない気がしますし、そもそも弟くんだって遠慮せずに直接訊けばいいと俺も思いますよ?」
「あ、そう」
「で、いつからアパートに帰ってないんですか?」
「──」
 山田はもやしの最後のひとカケを慎重に箸で摘んで口に入れながら、上目遣いに後輩を窺った。
「あ、やっぱり隠すような何かがあると」
「違うっつーの、お前がさぁ、なんかそうやって楽しそうにすっからだろーが? そりゃ月曜から帰ってねぇけど別に? だから何だよ? もはや何日か家空けたからって怒られるような若さもねぇしよォ、残念ながら」
「若さは関係なくないスか。怒るかどうかは立場による気がしますけど」
「怒るような立場の、なんだ、アレはいねぇっつーの残念ながら」
「あぁ、いまは?」
「いまはっつーか、まぁここしばらく? 残念ながら」
「月曜からって、木曜ですよね今日」
「それが何」
「着替えはどうしてるんですか?」
「え、だからクリーニング出したから、シャツみんな」
「クリーニング?」
「だからぁ、小島のマンションがやってるクリーニング屋?」
 安っぽいプラスチックのコップを手に、鈴木はまじまじと山田を見た。
「ちょっと待ってください。まさかとは思いますけど、山田さん」
「何」
「これを先に訊くべきだったんでしょうけど、そもそもアパートに帰ってない理由は何なんスか?」
「え、理由って」
「まさか、シャツのアイロンとかじゃないっスよね」
「は? アイロンが何?」
「アイロンかけるのが面倒だからって、小島んちに転がり込んでるわけじゃないですよね? まさか」
「──」
「──」
 先輩と後輩はそれぞれ煙草の箱に手をかけたまま、数秒黙って目を交わし合った。
 先に言葉を発したのは、気を取り直したように煙草を咥えた後輩だった。
「まぁ、どういう理由で何をしようが山田さんの勝手ですけど。一応大人なんですから」
「一応って何だよ」
 煙草に火を点けながら山田が言ったが、鈴木はスルーした。
「でも言っときますけど、シャツのアイロンぐらいは俺だってできますよ」
「え、鈴木お前、俺のシャツにアイロンかけてぇの?」
「もののたとえです」
「シャツにアイロンかけてくれんなら、お前んちにだって転がり込んでやってもいいぜ?」
「それもまぁ面白そうですけどね」
 何がどう面白そうなのか、ちっとも滲ませないツラで後輩が煙を吐いた。
「シャツ事情はわかりましたけど、スーツはどうしてるんですか」
「とりあえず二着あっから、月曜着てたのを昨日着て、火曜に着たのを今日着てる」
「周到ですね」
「そーいうわけじゃねぇけどさぁ、シャツの山取りにアパート来た時に小島がよー、どーせタクシーなんだからスーツの替えも持ってけとか言うからさぁ」
 タクシーねぇ、と鈴木は呟いた。
「今週はずっと小島んちですか?」
「や、別に考えてねぇけど……何だよ?」
「いえ、弟くんにどう答えようかなって」
「適当に言っとくんだろ? 別に、まんま言ったっていいんだけどよ」
「まぁ弟くんから佐藤さんに伝わるとも限りませんしね。伝わらないとも限りませんけど」
「なんで佐藤が出てくんだよ」
「いえ別に。そういえば田中さんは知ってるんですか?」
「何を?」
「だから、小島んちに連泊してることを」
「田中もカンケーねぇし」
「いえ、何かのはずみでうっかりネタにしても支障ないのか、あらかじめ確認しておこうと思って」
「あのな。どんな支障があるっつーんだよ? つーか別に何にも問題ねぇけど、もう面倒クセェから全員に黙ってろ」
「要するに黙っててほしいんですね」
「別にそーじゃねーけど」
「けど何スか」
「何でもねーけど」
「口止め料は高いですよ」
「じゃあいい」
「黙っててほしいんスよね?」
「いいっつってんだろ、別にさぁ、小島のヤツ社内のジョシ根こそぎ攫ってく男の敵で気に入んねーとか言ってたのに何だよ、みてぇに言われんのが面倒クセェだけだし?」
「いいですよ、口止め料は高いですけど今回は貸しにしておきます。弟くんには適当に言っておくし、田中さんには黙っときますよ」
 窓の外に目を遣っていた山田が、数秒後にふと鈴木を見た。
「え、で?」
「はい?」
「それから?」
「それからって何ですか?」
「いや……そんだけ?」
「ほかにまだ何かさせたいんですか、俺に?」
「や、別に」
 素早く答えた山田が灰皿で煙草を消すのを眺め、鈴木が唇の端で笑った。
「あぁ、佐藤さんにも黙っててほしいんですね」
「ンなコト言ってねぇ別に誰も」
 
 
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