暗がりのせいなのか。意識は半ば飛んでるっていうのに、首筋に触れる息づかいがやけにリアルに耳につく。
 それでいて、強引に折り曲げられて押さえ込まれた脚の痛みも、まるで他人事のように遠い感覚でしかない。
「ん……ぁ、まだ、かよっ……?」
 切羽詰まる思いで漏らした声は、意に反して甘く掠れていた。
 が、そんなことでいちいち忸怩たる思いに駆られる余裕はない。身体の中を他人の一部で抉られて何度も突かれてグチャグチャに掻き回され続けていれば、ちょっとぐらい自分の声が甘かろうが濡れていようが、もはや些末事でしかなかった。
「毎回訊くなよ、それ」
 低い囁きのあと、黙ってろと言わんばかりに唇を塞がれた。
 毎回ってなんだ、コレが日常茶飯事みたいな言い方すんじゃねぇ──頭の隅をそんな思いが掠めたが、ただでさえうまく呼吸できないのに舌を奪われて余計に苦しくなって、すぐにどこかへ消え失せる。
 死ぬ、痛い、熱い、いったい何やってんだ俺──何やってんだ俺ら……?
 顔を背けると素直に唇が解放された。
 落ちかかる男の影が、荒れた息の中から何かを呟いた。
 名前だ。久慈を呼ぶ声。それは間違いなく耳慣れた同僚の声で、本来こんなシチュエーションで聞くべきものじゃない。なのに、だ。
 自分の部屋の自分のベッドで、ソイツに抱かれて名前を囁かれてる現実。
 いや現実なのか夢を見てるのか、行為の最中に時々わからなくなる。夢だとしたら悪夢だ。でも悪夢ならまだいい。こんな現実を直視するぐらいなら、目が覚めて不愉快な気分を味わうだけの方が百倍マシってモンだった。
「ッ、!!」
 不意打ちで乳首を摘み上げられて身体が跳ねた。
 反射的に払おうとした手は、しかし尻の中の弱点を的確に突かれた衝撃で目的を見失った。
「ぃ、やだ、西っ……西浦……!」
 結局、不甲斐なくも西浦の肩に縋って腰を捩りながら、久慈は懇願するように呻いた。
 一番感じるところを責められながら乳首をイジられると、はしたないほど乱れてしまう。友人の前だっていうのに羞じるどころじゃない。しかも久慈のそんな姿を見ると、西浦が実に嬉しそうに励むモンだから始末に負えない。
 久慈はさんざん苛まれて狂わされながらも、男のプライドってヤツを必死でたぐり寄せて恨みがましく唸った。
「しぬ……マジで」
「死なないって」
 笑い混じりに一蹴する声の色が、平素にはない甘さや優しさを帯びて聞こえるのは、残念ながら気のせいじゃないことを久慈は知っていた。
 だって毎度同じだからだ。いったい何を考えてるんだかさっぱりわからないが、西浦は久慈を抱くとき、まるで女に対するような愛おしさや気遣いの片鱗を見せる。
「ケツ掘られたぐらいで死なねぇから」
 ほら、気持ちいいんだろ? と続けた西浦が、また堪らない場所を穿って久慈を悶えさせる。
 そんなコトを言ってんじゃねぇ、恥ずかしすぎて死ぬっつってんだろうがっ……
 たぐり寄せた何かの布地を顔に押しつけて、必死で声を殺した。それでもくぐもって漏れ出る、情けないほど感じまくった喘ぎ。
 西浦も西浦なら自分も自分だ。
 何考えてるのかわかんねぇ、こんなのおかしい、いい加減にしろ──そう繰り返していても、結局こうしてまた西浦を受け入れてヨガってる。
 同僚で友人で男同士だってのに。いくら嫁さんとうまくいってないからって、相手は所帯持ちなのに。
 強要されて仕方なく、なんて言い訳は通用しない。久慈と西浦は立場的にも体力的にもほぼ対等で、拒めない理由なんかどこにもない。
 なのに何なんだ、これは?
「久慈……」
 耳元で囁く声は、やっぱりある種の色と熱を孕んで聞こえた。
 無造作に久慈の前髪を掻き上げる手のひら。こめかみを這った唇が汗ばんだ額に押しつけられる。罪悪感をともなって衝き上げてくる快感に全身が震えた。
 無意識に逃げようとする久慈の左手に、西浦の手のひらが重なった。
 絡んだ指が擦るように触れてくるのは、薬指の付け根に嵌った指輪だ。西浦が買って寄越した銀色のシンプルなリング。
 何を意味してるのかちっともわからない小さなそのアイテムは、しかし見えない何かで強引に久慈を縛りつける。
 友人が何度も口にする、この言葉とともに。
「お前に新しい女ができるまでだ──それまでは俺のものだ、久慈」
 何がどうなって、こうなったんだか。
 
 
「ほらほら、配給だよー」
 おぼえのある声とともに、今年もソイツはやってきた。
 2月14日。毎年、職場の女子社員が義理チョコを配る日だ。当日が休日なら直前の平日に実施されるが、今年は火曜だから正真正銘のバレンタインデーだった。
 デスクの間を縫うように巡っていた中村が、久慈の机にも小さな赤い箱を置いた。この時期、よく輸入食品店の店先にこういうのが積んである。通常商品の輸入チョコをラッピングしただけのシロモノに見えた。
「お疲れ、どう? 調子は」
 いつものことながら、20代の女子にしてはやや気怠い口調。久慈が椅子に座ったまま曖昧な答えを返すと、あまり化粧っ気のない少年のような笑顔が振ってきた。
「何だよ、元気ないじゃん。オマケつけたげるから頑張んなよ」
 言ってポンと机に放り出されたのは、小振りではあるけれど超有名ブランドの箱で、どう見てもオマケの方が高級だった。
 
 
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