来年の抱負でも語り合いますか、と言ったのは鈴木だった。
 大晦日の夜。
 まずは適当な駅で落ち合ってそこらへんの居酒屋で飲みまくり、山田と居候・佐藤のボロアパートに移動してまた飲みまくり、どいつもコイツもいい加減酔いが回ったあたりで、不似合いに真っ当な提案が飛び出してきたというわけだ。
「抱負ぅ?」
 佐藤弟の反応に、山田の声が続いた。
「何……鍋でもすんの」
 目が半分ぐらいになってるそのツラを、ほかのヤツらが一斉に見た。
「一応訊くけど、なんで鍋?」
 田中が言った。
「豆腐がどーとか言っただろ、いま」
 それ以上、誰も何もツッコまなかった。かわりに佐藤が鈴木を見て口を開いた。
「言い出しっぺのお前は何かあるんだろうな、鈴木」
「とりあえず来年の大晦日の夜は、ここじゃないところで過ごしたいですね。女子と」
「それが抱負か、お前の」
「えぇまぁ」
「てかソレ、一年の最後のひと晩だけの話じゃねぇか? それで来年の抱負って言えんのかよ?」
「来年の目標には変わりないじゃないスか」
「あっ、じゃあ次オレぇ!」
 佐藤弟が缶ビールを持つ右手を振り上げた。
「おいテメ、散ったじゃねぇかビールが」
「男が細けぇこと言うんじゃねーよ兄貴ィ、そんなだから惚れてるヤツの一人や二人が落とせねぇんだよ」
 ますます缶を振り回して弟が喚くと、兄が冷え切った目を投げ、田中が煙を吐き、鈴木が己の前のプラカップに一升瓶を傾け、山田が相変わらずの半眼で煙草のパッケージを探した。
「俺の煙草がねぇっ」
「目の前にあんだろ」
 田中が教えてやる。すると今度は、半眼をもっと細くして山田が喚いた。
「空っぽじゃねぇか!」
 溜め息をついた田中が、自分のパッケージを放ってやる。
「そんで何だっけ、そうそう俺の抱負ね! 俺はぁ、来年こそはイチさんと結ばれる!」
「は? 相変わらず意味わかんねぇなオマエは」
「ていうか彼女いるよな、新しいの。なんで一緒に過ごさねぇの? 大晦日に」
「へぇ。まだ山田さんと結ばれてなかったんだ、弟くん」
 山田以外の三人が鈴木を見た。
 山田は一人、咥え煙草で気合いの入ったツラを傾け、石の磨り減った百円ライターを擦り続けていた。
「点かねぇ! 火が……!」
 その真剣なツラをちょっと眺め、鈴木が佐藤弟を見て言った。
「結ばれたいなら、今この場でもいけるんじゃないかと思うけど」
「おい、そんなに俺の弟をホモにしてぇのか鈴木」
「恋愛は自由ですよ佐藤さん。好きなら堂々と結ばれればいいじゃないスか」
「そういや鈴木。その自由な恋愛に、こないだまた破れたらしいじゃねぇか?」
「なぁオイ誰か火ィ寄越せよ」
「俺の恋愛が破れたこと、なんで知ってんですか? 田中さん」
 山田の前にジッポを置きながら鈴木が訊き返した。
 自分の煙草に火を点けたばかりの佐藤の手、空き缶の林の影からライターを拾い上げた田中の手、ジーンズの尻ポケットに突っ込んだ佐藤弟の手が、それぞれ動きを止めてから握ったものを床に放った。
 山田が鈴木のジッポで火を点けた。
「あ、何なに、鈴木の恋が破れた話? それだったら俺オレ、俺がバラしたんだよ。なー田中」
 やっとニコチンを摂取した山田が満足げに煙を吐く。
「そんで、ナンで破れたのかっつったらぁ、デートの最中に俺が何回も電話したからだよなぁ鈴木」
「気のせいかもしんねぇけど山田お前、ずっと前にも似たようなことやって鈴木を女と別れさせたりしなかったか?」
「あぁ、やってた気がすんなぁコイツ。いっつもそんなことばっかやってっから確かなことは言えねぇけど」
「てかイチさん、なんで鈴リンのデートばっか邪魔すんの!? なんで俺のデートん時に電話してきてくんねぇの!? ナンで俺を彼女と別れさせてぇとか思わねぇの!?」
「どいつもコイツも、アホだなコイツらは」
「てか鈴リン?」
「てか鈴木はいいのかよ、山田のせいで女と別れさせられて?」
「まぁ山田さんの妨害ぐらいで離れていくような女だったら、どうせ続きませんし」
「どんな試練だよ山田は。つーかお前、電源切っとけよケータイの」
「つーか大体、何で妨害すんだ? 山田は」
 田中が山田を見て言うと、佐藤も煙を吐きながら山田を見た。そうだよそうだよ俺のデートも邪魔しろよイチさん! と弟が喚く。あぁ? と半眼を上げた山田が、小馬鹿にするようなツラで全員を見回した。
「ンなの、後輩だからに決まってんだろ。俺が教育した後輩なのに俺を差し置いて女作るとか、どんだけ生意気だよ」
「鈴木。許しといていいのか、こういう横暴を」
「まぁ山田さんですからね」
「つくづく大人だな、お前」
「てか後輩といえばアイツもお前の後輩だけど、小島。あっちはバンバン作ってんじゃねぇか女とか? なんか、最近は大人しくしてるみてぇだけど」
「そういや超懐かれてんじゃん? 山田。今日とか現れんじゃねぇの、あとで。ウチの運転手つきのメルセデスのリムジンで初詣に行きませんか、とか言ってな」
「今日は来ねぇよ」
 滑舌怪しく山田が即答した。
 佐藤兄がチラリと視線を走らせ、田中が空き缶に煙草を押し込み、鈴木が何食わぬツラで煙を吐く横で、佐藤弟が「今日は来ねぇって、じゃあ明日は来んのかよ?」と率直で素朴な疑問を口にした。
 山田は、もはや三分の一ぐらいになった目で佐藤弟をボーッと見返してから、やがて「明日は明日の風が吹くんだぜ」とわけのわからない答えを返して煙草を消し、ゴツンとテーブルに突っ伏した。
「超眠ィ。ちょっと寝る」
 寝息が聞こえだしたのは三秒後だ。
 残った四人は、そのだらしのないツラをちょっと眺めたあと、何ごともなかったかのようにアルコールを流し込んで煙草を吸いはじめた。
「で、佐藤さんは?」
「は? 何が」
「佐藤さんの来年の抱負ですよ」
「ンなモン別にねぇけど。まぁ、強いて挙げるなら不言実行? みてぇな?」
「あ、じゃあ俺は有言実行で」
 田中が言った。
「じゃあって何スか、仲いいですね相変わらず」
 ツッコんだのは鈴木だ。笑ってプラカップの日本酒を呷る後輩のセリフを受け、仲良し二人組が掠めるように互いを見交わした。
「有言実行って何すんの、たーさん」
 佐藤と鈴木と田中が同時に佐藤弟を見た。
「たーさん?」
「どこの飲み屋のオネエチャンだ、お前は」
「俺もたーさんって呼んでいいスか? 田中さん」
「そのパターンを山田に応用するなよ? 鈴木」
「だからそんで有言実行って何すんの、たーさん」
 再び訊かれた田中が、山田の前に伸ばした指でパッケージを引き寄せながら小さく笑う。
「これからゆっくり考える」
「ふーん。そんで兄貴は何を実行すんの」
「だから不言実行だっつってんだろ。黙っていきなり行動に出んだから、先に教えたら意味ねぇだろうが」
「そういう風に聞くと、なんかタチ悪いっすよねぇ」
 鈴木が笑い、寝ている山田をつついた。
「山田さんの番ですよ」
「つーか起こしてまで聞きてぇのか、山田の抱負を」
「それほどでもないですけど、何となく落ち着かなくないスか? 一人だけ聞いてないってのは」
「だからってわざわざ起こすかよ? 寝てるヤツを」
「優しいですね、佐藤さんも田中さんも」
「あのな。わざわざ起こしてまで聞いたところで、どうせ大した抱負なんかねぇんだから山田には」
「俺は聞きてぇよ! 来年こそは俺と結ばれるんだっつー、イチさんの熱い抱負を!」
「それ、一人で思い込んでた方が幸せなんじゃねぇのか? 山田の口から真の抱負を聞かされるよりも」
「山田さん、山田さん、起きないと一分ごとに一枚ずつ脱がせますよ」
 田中と佐藤と佐藤弟が鈴木を見た。鈴木が続けた。
「田中さんと佐藤さんと弟くんが、一分ごとに」
「おい待て鈴木」
「や、俺はやるよ! てか、やらせて俺にっ」
 弟が決意みなぎるツラで立ち上がった。
 結局、一分経過してジャージを脱がされた山田は、さらに一分経過してTシャツを脱がされる途中、デカいクシャミをして目を醒ました。
「あぁ……? 何やってんの、お前ら? てか何やってんの弟? 何で脱がしてんの、俺を?」
「お前の来年の抱負を聞きてぇんだってよ、山田」
「はぁ……? トーフ……? 鍋でもやんの?」
「そのつまんねぇボケはさっきも聞いた」
「つーか、新橋の飲み屋で頭にネクタイ巻いてるオヤジみてぇなジョークはやめろ」
「あァ? 何言っちゃってんの、お前ら? 人が気持ちよく寝てるとこ起こしといて?」
「来年の抱負は? 山田さん」
 容赦なく訊ねた鈴木を、山田が無言で見返した。そのまま無言で田中の前からパッケージを引き寄せ、一本抜いて咥える。しばし沈黙。
 やがて、半眼で煙を吐いた山田がノロノロと口を開いた。
「あぁ、そーだなぁ。来年は客んとこで脱がねぇようにするよ、俺」
「──は?」
「それから、知らねぇヤツが菓子くれるつってもついてかねぇようにする」
「──」
「菓子じゃなくて煙草でも、ついてかねぇようにする」
「あの、イチさん?」
「山田さん、やっぱり……」
「やっぱりって何、鈴リン! 何を知ってんだよイチさんの!?」
「あ」
 鈴木が目を上げた。どこからともなく聞こえてきた鐘の音に、ふと全員が気を取られた。
「おっと、一月一日か」
「明けましておめでとうございます」
「あぁこりゃどうも」
「とりあえず今年もヨロシク、みてぇな?」
「俺とイチさんの愛がますます深まりますように」
「おい、祈願すんなら賽銭放れよ」
 そこで一同、何となく新しい缶ビールを開けて、あけおめーと無造作にぶつけ合った。それぞれグッと呷ると、示し合わせたように全員が煙草を咥える。
「さて、じゃあ」
 一升瓶の首根っこを掴んだ鈴木が、百円ライターを擦りながら言った。
「今年の抱負でも語り合いますか」
 
 
【END】

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