残業して帰った同居人を迎えるなり、山田が真剣な面構えで厳かに宣った。
「なぁ佐藤、今日すげぇ魔法が起こったんだぜ」
「今度は何なんだ?」
「さっき、夜メシにコンビニのかき揚げ蕎麦を買ったんだけどさ」
「あぁ」
「あのホラ、麺の下のシートとそのまた下のスープを引き摺り出してぶっかけねぇとレンチンさせてくんねぇヤツ? 面倒クセェけどまぁしょーがねぇから麺めくってシートとスープ出してぶっかけてレンジに突っ込んだわけ」
「それが面倒クセェっつーぐらいなら、連絡寄越せば帰ってから作ってやったけどな。お前がたっぷり報酬くれるなら」
「俺カネねぇし」
「カネじゃねぇのはわかってんだろ」
 ネクタイをソファに放った佐藤が、やたら思わせぶりな手つきでシャツのボタンを外しだす。
「ほ、報酬なら朝っぱらからさんざんぶんどってっただろ!? まだ安らかに鼻提灯ぶっ放してた俺からっ」
「朝から何時間経ったと思ってんだ? ンなモンとっくに消費したに決まってんだろ」
「はぁ何言ってんの? いま思えばアレがかき揚げ蕎麦の前払いでもおかしくねぇよな?」
「わかったわかった。で、何が魔法なんだ? まさかレンチン終わったら蕎麦が温まってた件とかじゃねぇよな」
 半分はだけたシャツ姿のまま、佐藤が箱から抜いた煙草を咥える。
「レンチンしたら温まってんのは当たり前だろ? ンなことじゃねぇ。レンジから出して、さて食おうってフタ開けたら……何が起こったと思うよ?」
「さっさと言わねぇと今すぐ脱がすぞ」
「蕎麦じゃなくてうどんに変わってたんだ」
「──」
 佐藤はゆっくり煙を吐き、数秒後に口を開いた。
「山田」
「あぁ」
「ソイツは魔法じゃねぇ。スープを出すためにお前がめくったときから既にうどんだったんだ」
 そうなんだよ! と山田がいきり立つ。
「思い返してみりゃ、白くて太い麺をめくった憶えがあんだよ! だから魔法ってのは麺じゃなくて、ギリギリまでソイツは蕎麦だって俺に思い込ませた脳味噌のハナシなんだぜ!」
「お前の脳味噌が複雑怪奇なのは今に始まったことじゃねぇだろ?」
「え、そのコメント、どう受け止めるべき?」
「どうとでも取れ」
「で、帰ってきたとこ何だけどニーサン、今すぐそのボタンはめてスーパー行かねぇ?」
「誰がニーサンだ」
 佐藤は溜め息を吐いてスマホの時計を見た。
 21時25分。歩いていける小型スーパーは23時までやってる。
「結局、作れってか?」
「報酬ならたっぷり払ったよな、朝?」
「うどんはどうしたんだ」
「食ったけど、コレじゃねぇんだよなぁって不完全燃焼だったわけじゃねぇか? そんで今お前が作ってやってもいい的なこと言いやがるから、せっかく小麦粉の麺でゴマかされてた蕎麦熱が再燃しちまったじゃねぇか? 責任取ってコイツを鎮めてくれたってバチは当たんねぇと思わねぇか?」
「わかったわかった。けどせめて着替えてもいいですかね、お姫様」
「誰がお姫様だよ」
「昨夜ソファからお姫様抱っこで運んでやっただろ?」
「──」
「で、お前はそのヨレヨレのスウェットで行くつもりか?」
「なんか不都合あんの?」
「別にねぇ」
 それから佐藤が着替えるのを待って2人は外に出た。
 すっかり残暑の気配も消えた秋の夜長。
 ひんやりした空気が漂う住宅街をチンタラ歩いてスーパーに向かう途中、ふと山田が佐藤を見上げてヘヘッと笑った。
「夜の散歩だな」
 その弛みきった笑顔を眺めて佐藤は思った。
 夜更けに蕎麦を作らされるのも、まぁ悪くない。
 
 
【END】

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